1945(S20)年8月15日は、大きな犠牲を払い第二次世界大戦に敗れた。
これを契機に我が国に平和憲法が制定され、個人の尊厳からも戸籍法は新しくなり、「先祖代々」「本家」「大本家」などの言葉は消えてしまった。
しかし、「先祖」にどんなことがあったかを知りたい」と思うことは、歳を重ねる毎に増大するものである。以下に、宮崎小野家と宮崎菊地家の繋がりの概要を記しましたが、この中から菊池と菊地の関係も理解できた。
この内容は「菊地家系譜伝」(S30.3.25に発刊された菊地 悌夫氏監修・菊地 哲男氏著作)にあるものの一部を頂き編集しました。 そして、「菊地家系譜伝」制作に対し、深く感謝いたします。
(小野 勇二)
西 暦 | 年 号 | 主 た る 記 事 | 付 記 | |
669 | 白雉 8 | 藤原 鎌足没す | 大化2年改新の詔 | |
1070 | 延久 2 | 藤原 則隆(菊池氏第一世)肥後の国に下り「菊池」を号す | 藤原家十二代目 | |
1274 | 文永 11 | 蒙古軍襲来・菊池十三世「武重」(宮城宮床「菊地」の始祖) | 現、宮床村御殿山に | |
. | . | 菊地家初代となる | . | |
1287 | 弘安 4 | 文永・弘安の役に参加して功あり、とされている | 新田義貞が上州から東村山の八国山で軍勢を整える | |
1335 | 建武 2 | 「武重」新田 義貞と足利義直が箱根で戦う | 府中市の中河原に新田義貞の像があるが | |
. | . | . | 何か「武重」に関係が考えられる | |
1591 | 天正 19 | 政宗の家臣、笠原伊勢が宮崎の居城を滅す、後「石母田」に | . | |
. | . | . | . | |
1663 | 寛文 3 | 「庄兵衛祐吉」初代 武重の九代「三九郎」の三男として生る | . | |
1677 | 延宝 5 | 「庄兵衛祐吉」15歳で「仙台菊地家の初代」として分家独立 | . | |
1688 | 元禄 元 | 「庄兵衛祐吉」宮崎小野家4代「文右衛門」の長女「不明」を娶る | 忠臣蔵で有名な「ちくま味噌」深川で開業 | |
1711 | 正徳 元 | 「庄兵衛祐吉」の長女「不明」小野家6代「助左衛門茂利」に嫁す | . | |
1730 | 享保 15 | 「助左衛門茂利」次男「小野小四郎」叔父「祐信」苗跡被仰す | . | |
. | . | 仙台菊地家三代目となり、祐枚に改称 | . | |
1750 | 寛延 元 | 祐枚に古内家より「柳」の一字を、「菊地柳大夫祐枚」に改称 | . | |
. | . | さらに、古内備後義清より才条長兵衛の妹を被下さる | . | |
1763 | 宝歴 13 | 「菊地柳大夫祐枚」仙府定詰めに46歳 | . | |
. | . | 3月「治太夫義周使として江戸に」 | 6年 賀茂 真淵 没す | |
1779 | 安永 8 | 「菊地柳大夫祐枚」宮崎に戻る 62歳 | 7年 ロシア船蝦夷に | |
1783 | 天明 3 | 「菊地柳大夫祐枚(小野小四郎)」没す 6月6 日 享年66歳 | 天明の大飢饉あり | |
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何やら「小野 小四郎」なる人物は、小野家の最たる人物だったようです。
また、この中で「男尊女卑」の色濃く、女性は「妻」の表示だけで
名前は全く不明である。
次に、宮崎小野家は2度の火災で、四代目以前の記録は皆無になっている。
色々の事情があった模様。