各新聞社では、上記のようなcampaignを行い購読者を募っている

(下は左図に記載されている文字です)

 言葉に救われた。

 言葉に背中を押された。

 言葉に涙を流した。

 言葉は人を動かす。

 私たちは信じている。

 言葉のチカラを。



 朝日新聞では、上図のように、力強い記者宣言がされています。
一方に偏らず、このことに誓って、走って欲しいものです。

 上記のような宣言文もあったが、「従軍慰安婦」などの報道で「迷い」
が生じてしまい、2014年12月27日(土)朝日朝刊 に次の明言があった。

 表紙





2020/04/22_朝日新聞から 
ipon_New
 国内の新型コロナウイルス感染者感染歴





 2014/11/08 「天声人語」から
  原発と人間の寓話





 相模原市市制60周年記念の催し
  第27回相模原薪能を見学して





H26.08.12_朝日新聞「声」欄に 
  戦力を持たない日本の夢を見た






 

むのたけじさん 日本ジャーナリスト会議(JCJ)賞

特別賞を受賞した
2014840500

 従軍記者として、負け戦と分かっていて勝ち戦とウソの記事を書いた。その責任をとる、と敗戦の日に朝日新聞を退社した。ふるさと秋田に戻り、週刊新聞「たいまつ」を発刊。以来、「戦争絶滅」を旗印に発言を続けている。長く続けるその活動が評価された。
              

 安倍政権が発足してから、生の戦争体験を語れる証人として、講演に呼ばれる機会が増えた。戦地で、家に押し入った兵が乱暴し、証拠を隠すために女性を殺して家に火をつけた話や、乱暴を止めようとして刺され、死にかけた夫の様子などを語ると「もうやめて」と女性たちに止められるという。

 日本に戻れば善良な国民たちの所業。彼らは妻や子に、戦地でやってきたことなど語り伝えられない。だから戦争の実相は伝わりにくい。「でもそれは、事実がなかったということではありません」。同じことをさせてはならないと語り、考え続けている。

 戦争では、敵をやっつけるのに役立つ者だけが必要とされる。徴兵制で合格しないと非国民と言われる。ひと晩で真っ暗な社会になる。そうさせないため、まずやらなければならないのは、近隣諸国と仲良くすること。なのに今の政権は「逆ばかりやっている」。戦争を生きたジャーナリストとして、「命のある限り第3次世界大戦を防ぐ仕事をしていく」と受賞を機に決意を新たにしている。

 (文・木瀬公二 写真・杉本康弘)

むのたけじ(99歳)

1915- 昭和-平成時代ジャーナリスト
大正412日生まれ。「報知新聞記者をへて,昭和15年「朝日新聞」にうつる。20敗戦の日に新聞戦争責任理由退社郷里秋田県の横手にかえり,23週刊新聞「たいまつ創刊地方視点発言をつづける。東京外国語学校(東京外大)本名は武野武治。著作「たいまつ十六年」「雪と足と」「いのち守りつなぐ世へ」など。

 

       






 冊子「Life」に掲載のものを転記(了解得て)した
  コーヒーとの付き合い方






避難所などの地図記号国土地理院が新設

 国土地理院は改正災害対策基本法に基づいて指定される緊急避難所などの地図記号を定めた。今後、「地理院地図」などに記載されていく。

 避難所は、災害が発生または発生のおそれがある場合、危険から一時的に逃れるための「緊急避難場所」と、災害のおそれがあって避難したり、災害で家に戻れなくなったりした、住民などが滞在する「避難所」、両方を兼ねる「避難所兼緊急避難場所」の3種類。避難所が対応する災害を示す記号と合わせて表示する。

皆さん新しい記号が出て参ります。本番時にはお迷いにならぬことを祈ります。

2014/07/03に記載







H26.07.01_集団的自衛権_閣議決定 
  9条崩す解釈改憲_集団的自衛権





 朝日新聞が下欄のように発表しました
 これから、「政治の言葉」を分かり易く 





 郡山 直 様が作られた詩です
反戦短歌と反リニア短歌_31点 





 気分を転換し 詩を作ってみよう
  「ウソの詩」を書こう!!





 一からわかる「集団自衛権」
  2014/3/3_朝日新聞から





 帝国憲法発布から、2013年までの歴史を
    朝日新聞号外縮刷り版 1889~2013





  作家・高村薫氏の主張
  知る権・守る義務、情報公開の論議を
  躍る言葉に背を向け、地に足をつけよ





  村山首相の自衛隊合憲を表明と談話
2013/09/08_朝日新聞に掲載





 過ちを総括してこそ
 主権回復の日に思う
国防軍構想自民のおごり





立憲主義を再確認する





 H23.8.28_「新聞を読み」
「映画を見て」
60数年前を思い出しました





   H23.7.20_朝日「声」に寄せられた投稿





H23/06/28 の朝日朝刊「オピニオン」で「野中 広務」と「橋下 徹」の
「君が代起立条例」争論の一部分と
その後に掲載された「投書」を記しました。

下記のリンクへクリックをどうぞ。



        H23.6.28_朝日争論 へのリンク



   






  柴田 トヨさんの詩です。

こんな詩もありました。

お医者さんの診察に当たって、心の内を良

く表現し、この歳になっても、政治に関心を

抱いていることに、ヤー凄いと驚くのみです。
 



 
 柴田 トヨさん(白寿だそうです)

「くじけないで」の書名で各書店にあります。

既に、発売60万部を突破しているようです。

全国津々浦々で「心を揺さぶり続ける」感動の
ベストセラーです。

この左の詩に私は感動しました。

                       OnoYuuji






チングを求めて

(東京都府中市 鄭 玉珠(チョン オッチユ)
大学非常勤職員 43

  

 私は朝鮮高校に息子を通わせる在日コリアン2世のオモニ(母親)です。毎月かかる学費は、ほぼフルタイムで働く私の手取り月収の半分以上。所得税をはじめ、各種の納税義務を果たしているにもかかわらず、地方自治体レベルの参政権さえ与えられていない悲しい現実から考えても、朝鮮高校こそ無償化してほしいと心から願います。

   通学定期代は月額
7千円、片道1時間半もかけて通わせる理由は、自分のルーツと言葉を知り、同じルーツを持つ在日コリアンのチング(親友)と巡りあえる唯一の場所だからです。

 私には日本人のチングもたくさんいます。将来日本に永住するであろう息子にも、国籍を問わずたくさんの友に巡りあってほしい。その時、自分の言葉で自己のルーツを語れる人であってほしい。悲しい過去の歴史や、大人たちの無用な政治的対立にのみ込まれることなく、同じ日本社会の中で、お互いを尊重しあいながら、伸良くしてほしいと思うのです。

 今の朝鮮高校は映画「パッチギ」の世界では、ありません。今を生きる私達在日コリアンは、バンクーバー五輪で金メダルをとったキムヨナ選手を祝福する気持ちと同じくらい、浅田真央選手の悔し涙と笑顔に感動します。ひとりでも多くの日本の方々に知っていただきたいと思います。

2010.03.16 朝日「ひととき」から

朝鮮学校無償化については、種々論議されおり、マスコミの報ずることを 私は、どのように解釈すべきか迷っている。

朝鮮学校の除外は、民族的な教育の権利を犯すことにならないのだろうか。何か、一種の差別と考えられないのだろうか。

それから、朝鮮学校を卒業した方は、日本の生徒と比較し、学力的に可なりの「差」が生じているのでしょうか。

しかし、北朝鮮の現政権は、私達に想像もつかない程、旧態依然のままであり、何を方向付けしているかが理解できない。確かに教壇に「金日成」の写真が飾ってあることには、可哀想に昔の日本の後ろ姿が思い出される。

玉珠さんのこの話は、良く理解できた。 

yuuji





老人をナメるなよ!


 トシをとると、とかく耳が遠くなる。だから老人と話すときは、
ちょっと声を大きめに話すのがマナーである。

 トシをとると、とかく目がかすむ。だから老人も目を通すような印刷物は、
活字を大きめにして印刷するのがマナーである。

 トシをとると、とかく体力が衰える。だから「働くことしか能のない高齢者は、
死ぬまで働いたほうがいい」なんて思ってはいけないし、
たとえ思っても言わないのがマナーというものだ。


 が、いまの世の中、こうしたマナーを身につけている人が少なくなった。
とくに若い人がそうだ。相手の立場に立ってものを感じることのできないような人のことを
「想像力貧乏」
という。


 ところで、NTTドコモのCMに出てきた太田老人(爆笑問題)の場合はどうか。

 電波状態を調べにきた田中調査員(爆笑問題)に、「散歩にきたのか」と太田老人は聞く。
「いえ、調査です」という田中調査員の声が聞こえなかったのか、
太田老人は家の中から犬を引っ張ってきて、「ついでに頼む」と言わんばかりに

リードを渡そうとするのだ。


 ま、この場合は、太田老人の日ごろの言動から見て、
わざと聞こえぬフリをしていることは明らかだし、
そこでのマの抜けた(マを生かした)やりとりが、この
CMの面白さでもある。
そう、トシをとると、耳や目が遠くなるぶん、とかく老獪さが身についてくるものなのだ。

が、太田老人のおふざけに便乗して言えば、
ときには、こういう場合でも、この老人は耳が遠いのだと思ってゲームにつきあってあげるのが、
若い人たちのマナーである。


で、そのお返しに老人も、おとぼけの芝居がばれないようにせいぜい芸をみがくのが、
若い人たちへのマナーである(かもしれない)。

                               (コラムニスト天野 祐吉)

                        H21.09.17 「朝日 ザ・コラム」より




震える手で電灯カバー外す

 気がつくと、もう夕方だった。空は高く深く青かった。1945815日。敗戦を告げた正午の放送から時は止まり、世の中の音は失せ、姑も私もただ座していた。

 ふと立ち上がり、縁側に出た。周りの林や田畑の木が風に揺れていた。……負けたんだ。胸が騒いだ。周囲は無音。「負けたんだ」。今度は声にして呟いた。向こうの農家に小さな明かりがついていた。

 さっき、部屋の黒い電灯カバーに触れたが外せず、手はまだ震えていた。戦争は負けて終わった、灯火管制も無いから電気をつけていいのよ、そう言い聞かせた。静かな空に戦いの音はないか

 私はカバーを取り電気をつけた。膝にまとわりつく息子の目に光が震え私は思わず泣きながら抱きしめた。姑は、大丈夫かい、と小さく聞いた。久々の光の下、私たちは蒸したジャガイモを頬張った。出征した身内は玉砕し、艦と共に沈み帰ってこなかった。その後は蛆のついた魚の配給を受けに走り回る日々。

 間もなく逝く私は「戦争をするな」と声を大にして言う。

 主婦 古田 静 (仙台市青葉区 88才)

H21.08.15 朝日新聞 「声」



古田さんのこの想い、私にも全く同じ状況の経験をした。そして、この直後「民主主義」とは、何であるかが理解でず苦悩した記憶がある。      yuuji





私達も60数年前このことがハッキリと記憶に残っている、
この時代、日本の置かれた経済的な状況、国際連盟の脱退から暗雲が広がった。
当時の言葉で「ABC包囲網」に囲まれた日本は、戦うのみと国民に宣伝して、戦争に突入したのです。これ全て外交の幼稚さにあったのでしょう。
その後間もなく、市街地が焼け野原になった光景は、未だに脳裏に残っている。
また、軍事教練と称して皇居前に膝間ついたことも・・・、
情けなく思うのみ。 

何が、「天皇家」なのか、
何が、
「神」なのか、

この歳になっても分からず仕舞い。
yuuji






政権選択、風向きは 衆議院総選挙の日は 09/08/30

各政党が投票日まで約1ヶ月、思い思いのマニフェストを発表した。
左記は、「自民党」「民主党」が公表したものだ。
しかし、小泉自民党が過去に発表したマニフェストの結果は、何であったかが私には、忘れてしまい分からない。
こんな事ではいけないので、一応記録することにした。

4年後にこのマニフェスト結果を忘れずに検証しよう。


これまでの「自民・公明」の連立政府は、数に任せての暴力政府であったと思わざるを得なかった。
特に、公明党は庶民の味方であるべき党が軍事拡大方向に走った感があった。
宗教と政治は、どう進んでいくのか・・・。
シッカと見守っていこう。

さらに、自民党に代わろうとしている民主党の今後は、数の暴力をどのように処理していくのか興味深々である。

     09/08/04   yuuji




 
音楽評論家 奥田 恵二
 

   裁判員制度「良心的拒否」の導入を

 裁判員制度がいよいよ今年5月から実施されるにあたり、賛否両面にわたりさまざまな意見が述べられてきた。しかし、反対論の多くが、この制度が実生活におよばす差し障りや、不慣れな環境に身を置くことへの不安を論点としていて、より基本的な問題に立ち入っていないように思える。

 司法制度にはまったくの門外漢である私も、裁判員になる可能性がある国民の一人として自省するとき、反対論にくみする。だが、論拠は異なる。「人を裁かない権利と自由」が、すべての日本国民に認められてしかるべきだという観点に立つからである。

 日本国憲法第19条は「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」と規定しているし、第18条は「何人も……その意に反する苦役に服させられない」と規定している。裁判への参加が「苦役」だと感じるか否かは、個人の主観の問題で、一概に言えるものではなかろうが、自分の良心に照らし合わせて、自分には「裁き人」である資質あるいは資格が無いと断ぜざるを得なくなったとしたらどうか。これは、国家ですら動かすことのできない最終的な個人の判断である。それにもかかわらず裁判への参加が求められるとしたら、その時点で、国家権力による個人への苦役の強要になり、信教の自由を侵すにも等しい行為になると思う。

 もし、裁判員制度の導入が不可避ならば、「良心的兵役拒否」の制度を実施している国々にならい、「良心的裁判員拒否」制度を施行してしかるべきだと思う。時間的拘束を逃れるための単なる言い訳のために「良心」が悪用されるおそれがあるのだったら、諸外国で良心的兵役拒否者に課されるのと同じような代替奉仕活動を課すこともできるのではなかろうか。

自分が選ぶ時間に、事務作業や労務作業など「無色」の労働への従事を求めることにより、国家に対する国民の義務が果たせることになり、卑怯者の汚名を着せられるおそれもなくなる。

 今回施行される裁判員制度は、殺人や強盗致傷などの重罪を扱う裁判に通用されることになるという。日常的に冤罪や、やり直し裁判の報道に触れている一般国民にとっては、専門の裁判官ですら判断に苦慮する事件にかかわれと言われても、そう簡単に引き受ける覚悟ができないのは当然であろう。

 しかし、もっと恐ろしいのは、自らの良心に探りを入れることもなく、気軽に裁判員を引き受けた人物が、ゲーム感覚で裁判に参加し、軽々な判断を示すことにより、取り返しのつかない結果を招くことである。憲法第37条第1項は「すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する」と定めているが、はたして新制度のもと、「公平な裁判」が保証されるか、非常に危惧されるところである。

 私はアメリカ音楽の研究者として1960年代から70年代にかけて、ベトナム戦争下でのアメリカで暮らした。自らの良心に照らし合わせ、理不尽と断ぜざるを得ない戦闘への参加を国家が求めたとき、それへの不服従を市民として表現するために、良心的兵役拒否を訴えた若者が少なくなかった。

 裁判員制度について、どうしても同調できない者のために良心的拒否を制度化し、国民一人ひとりの「心の自由」を保証する道筋を開いておくのが、民主国の政府の責任だと思う。
                   09.01.29(Thu) 朝日新聞


 私は、後期高齢の身であり、このことについては、逃避?できることに、しかし、人とは、誠に殺生なことであり、奥田さんのご提案に賛成したい。      yuuji    









喝

政治を見る目今こそ確かに

                                                                 
                                      無職 下村 三郎(東京都昭島市 66)

 「歳出削減の努力をした上で足りないものは国民にお願いする」。そんな閣僚らの聞こえの良い発言も、本音は消費税増税ということのようだ。政治家の言葉の裏の本音を見抜かないといけない。

 自民党が無駄撲滅の削減案を作っているが、政府は来年度予算でも社会保障費の自然増を2200億円抑えようとする。国民の福祉は切り捨てても米軍への思いやり予算2千億円は減らさない。

 「厚生年金赤字56兆円」という(9日朝刊)。国民年金も8千億円近い赤字だそうだ。積立金の運用損が原因と言えばもっともらしいが、要は国民の金を投資に失敗してスッたということ。

 「国民の目線」というのが首相のうたい文句だが、お年寄りには姥捨て山の後期高齢者医療制度を押しっけ医師不足も深刻だ。生活保護認定の抑制で福祉が人を殺す。これで何が庶民の目線か。

政治家も身を切る、として議員定数を減らす動きもあるが、本音と建前を使い分け、財界の言いなりの人ばかりになってはたまらない。ますます国民の政治を見る目の確かさが求められている。

08.08.20 朝日「声」欄に                                                                     

喝  私たち後期高齢者といえども、政治を見る「確かな目」の昂揚が必要である、投稿者下村さんは、要点をよく捕らえていると思いますが、皆さん如何ですか、私は同感である。             yuuji







  08.05.18 朝日の「耕論」に              雨宮 処凛(かりん) 作家

「それって蟹工じゃん」。こんな言葉を耳にしたのは、日雇い派遣などで働く若者が08.05.02日に岐阜県で開いたメーデーの場であった。・・・・省略・・・
別の飲み屋では、組合を作って会社と戦うときの参考として「蟹工船」を読んでいる、
と言う若い男性にも会った。

昨年の春には、自分たちを搾取する社会について学ぶため「資本論」の勉強を始めたとい20代の派遣社員に話しを聞いた。

◎ 細切れの低賃金労働、過労死寸前の長時間労働で働かされる現代の若者には、
  「蟹工船」や「資本論」で描かれる世界を学ぶべき歴史ではなく、

  
        自分や友人が身を置く現実と重なって映っている。
  
  (以下省略)

 経済のグローバル化と称し、そして、小淵政権後に生まれ始めた「自己責任論」機会の不平等を無視した収入の違いは、「能力・努力について」の結果だとする格差の正当化は、正しいのだろうか。考えるほどに難しい。                          Yuuji

 


「天声人語」

 市井の片隅に生きる町人を描く、作家藤沢周平の筆はやさしい。同じ視線なのだろう。若いころ、(メーデーは過ぎて貧しきもの貧し)と詠んでいる。結核で長く療養中の自らを写した旬だったかも知れない

▼資本の論理が牛耳る世の中への、ささやかな異議申し立てのようでもある。同じころ(桐咲くや田を売る話多き村)とも詠んだ。郷里の山形のことか。どちらも、戦後復興の日陰に生きる人々を見つめて切ない

▼メーデーのきのう、各地で労働組合の集会があった。近年は地域や団体で開催日がば

らつき、様変わりぎみだ。既成の労組だけでなく、低収入で厳しい生活を強いられている人たちの連携も、じわり広がっている

▼「プロレタリアート(労働者階級)」ならぬ「プレカリアート」と言うそうだ。イタリア語の「不安定」に由来し、非正規の労働者などを総称する。働けど食えない人もいる。「生存を貶めるな」と訴える集会がいま、全国で順次開かれている

▼はるか昔、聖徳太子は十七条憲法で「富者の訴えは石を水に投げるようだが、貧者の訴えは水を石に投げるようだ」と戒めた。富む者は聞き入れられ、貧者ははね返される。いまに通じるものもあろう

▼そうした、政治に届きにくかった労働現場の声が、様々な形でまとまり、噴き出し始めた。政財界は、はじき返すことなく、ていねいに聞く必要がある。メーデーは過ぎてー一あすは憲法記念日。格差は広がり、貧困ははびこる。「健康で文化的な」と生存権をうたった25条を立ち枯れさせてはなるまい。

08.05.02 朝日新聞 「天声人語」から

650年頃に上記のように「富者」と「貧者」を見分けていたことを知ったが、事実であったとすれば現代の政治は、何だろうかと胸が痛む。                               yuuji


 後期高齢者医療は

 「自己責任」「痛みを伴う改革」の狭間に入り、これがどういう方向に向かって進み、どんな内容に落ち着くものか想像もできない。
さて、「自民」対「民主」の戦いは、
どんな形に変化されるのか。


どこの社会でも挨拶は絶対欠かせない、
このことは誰でも知っていることなのだが、

そこなのです。

分かっているのだができない時がある。
右の投稿に心が動いた。

「後期高齢者」になってもです。
悲しい限りです。アーメン。
yuuji

挨拶の大切さ小4に教わる

高校教師 佐伯 雅弘(千葉県八千代市47、)

 所用で行った四国からの帰路、新幹線の京都駅で男の子が1人乗り込み、私の隣に座った。小学4年という。富士山の絶景を眺めながら、プロ野球の話をし、男の子からチョコレートをいただくなど楽しく過ごすことができた。

 その子は新横浜で降りるため、別れ際に丁寧に拶拶して外に出た。と、ここまではよくある話だ。驚いたのは、その直後だ。ふと、ホームを見ると、何と窓越しに男の子と、お母さんらしき女性ら家族の方々が全員で私に向かって手を振って挨拶したのだ。

 私は言いようのない感謝の念で礼を点したが、もしホームを見なかったらと思うと申し訳ない気持ちにもなった。

 最近「誰でもいいから人を殺したかっ」という若者の悲しい事件を耳にするが、その一瞬は、互いにどこの誰とも分からない関係にもかかわらず、うれしかった。男の敬意さえ感じるとともに、挨拶を大切にして生きねばと教えられたような気がした。

           08.04.16(水)  朝日「声」欄に


 

今年もベランダに咲いた野草
 

              若者に「信じられる未来」を

 物欲が満たされると、次に人は知識欲を満たそうとする。

 現在まで人間に生きがいをもたらしてきたのはこの二つの欲求だそうだ。しかし人は知識欲にも飽き始め、特に若い人は生きるエネルギーが喪失しかけている、と佐藤さんは看破する。だが、新しい夢の創出にコンピューターのシミュレーション技術が大きな力になりえると言う。

 佐藤さんは約45年にわたり、電子工学、宇宙空間科学、核融合プラズマ科学などのさまざまな分野でシミュレーション研究を続けてきた方だ。その後、日本で開発され世界一の演算性能(200206年まで世界トップ)を誇るスーパーコンピューター

「私が伝えたいのは、地球レベルから個人の将来まで、未来を覗くことが、人にとってどれだけ強い欲求かということなのです。コンピューターの進化によって、未来を覗く望遠鏡のように垣間見ることが可能になってきた。つまり、人間にとっての新しい生きがいが創出できる。やるべき未来の仕事が、若者の前にも見えてくるのです」

「地球シミュレータ」を駆使し、気象変動などに関する世界的な実績を残している。

  たとえば商社に入って自分の力を生かしたいと考える。途上国の環境を守り、育てつつ、いい食材を日本に輸入するとしたら、どこから何を始め、何年後に実現できるのか。現存のデータをきちんと入力すればコンピューターはかなりの精度で予測ができるそうだ。その間に自分は何を学ぶ必要があるか、などプログラミングに組み入れていく。

 あるいは閉塞感のある科学の世界も、未来に目を向けることで開かれる。

 「自分がある仕事を目標にしようと考えたら、シミュレーションをする。人間が未来を歩いていこうとする意欲は歩く道筋が見えるから湧き上がるのです。直感や精神力だけではない。道路の明かりを目指して歩くようにね(笑い)」

 コンピューターは、人間が岐路に立ったときの未来予測の道標になるのだ、と。その概念を世界規模から一人の若者にまで。佐藤さんに見えている未来は大きい。




絵は:水沢貴子

                             テキスト ボックス:   夏日漱有は神経質で、とりわけ朝寝坊が嫌い。元旦にちょっと寝過ごしても罪悪感を抱き、「我に許せ元日なれば朝寝坊」1899年)という俳句を作った。

 ところが、悪いことに、漱石の要・鏡子は大の朝寝坊。漱石は日記にさんざん妻の悪口を書いている。「妻は朝寝坊である。小言をなお云ふと猶起きない、時とすると九時でも十時でも寝ている。洋行中に手紙で何時に起きるかと聞き合わせたら九時頃だといった」1915年)

 鏡子は明治の女にしては、なかなかの大物だ。
「私は昔から朝寝坊」・「時々朝の御飯もたべさせないで(漱石を)学校へ出した」と語る。漱石の朝食は悲惨。鏡子が「朝御飯の代わりにはパンを買って来てお臓の上に出しておくと、それに子供たちが砂糖でもつけてたべる」。漱石は「黙ってその仲間に入って、ぼそぼそパンを食べて学校へ行く」
(夏目鏡子『漱石の思い出』)。漱石は、朝寝坊の妻に「トーストでも食べて出て」といわれるサラリーマンの元祖であった。

 こんな鏡子を悪妻という人もいたが、これほどずぶとい女性でもなければ、神経過敏な漱石の要は続けられなかった。「あの母だからこそ、あの父と、どうやら、やっていけたのだと、むしろ褒めて上げたい」と、2人の長女・華子はのちに書いている。

             (茨城大准教授・磯田道史)
07.09.22  朝日「be」


 さらば「再編」


07.10.23(火)の朝日朝刊に掲載された「政・態・拝・見」でのイラストです。二人の表情が余りにも似ていることから・・・・。

また、星 浩氏が書いていた
「俺はいま 何党だったけと 秘書に聞く」政界再編の様相が。

                            イラスト:郭 溢氏  

私の子供なら お尻をたたく

 主婦 花畑 喜久子 (広島県福山市 62歳)

 「ああ驚いた、驚いた」。

安倍首相辞任のニュース速報を見た私の感想である。

そのうち行き詰まって辞めるだろうとは思っていた。だが、参院選大敗の後、国民多数の意に反して辞任しなかった人が、国会で所信表明をした後、しかも代表質問の直前に辞意表明とは。

わがままな子どもの投げやりとしか、言いようがない。

 辞任の理由はどうであれ、これから審議しようという法案が、成立しそうにないからといって、「辞める」というのは一国の長として、無責任のきわみだ。

 首相はインド洋での海上自衛隊の給油活動は国際公約と言っていたが、すべての国民だけでなく、国際的にも恥ずかしい話だ。日本人のモラルがとやかく言われるが、まさにモラルのない首相としか言えない。

 私の子どもだったら、「そんなことでは、これからだって生きていけないよ」と言って、お尻をひっぱたいてやるところだ。

 当面の政治の混乱だけでなく、国民に植え付けた政治不信の深さが恐ろしい。

              朝日 「声欄」に首相辞任の翌日掲載

投げやりな、責任を感じられない首相の行為に対して、子ども達には、どんな反応を与えることになるのでしょうか 辞任に対しての真実を知ることは出来ないが、どうも、しっくりしない事が多い。A級戦犯の孫とは「精神的に弱い育ち、環境」に原因しているのかも知れない。そして議員を辞めずに居座る行為には、アキレルばかりです。
                         
(Yuuji)


                ご飯炊くのは、ぼくの仕事だ

私達の小さい頃を!                               

            小学生 田中 望(兵庫県西宮市12歳)

 学校から帰宅したあとのぼくの仕事は、ご飯を炊くことと、洗たく物をたたむことだ。両親が働いているから、この二つはぼくに任されている。

 今日も、ご飯がおいしいと言ってくれるかなあ、と思いながら米をといだ。そして夕食の時間。炊飯器を開けた。いつもと様子が違う。炊きあがったご飯を少し食べてみた。ちょっと硬い。しまった。水の分量をまちがえたようだ。その日の夕食に、ご飯はなかった。

 「ごめんなさい」という気持ちでいっぱいだ。家族に何度も謝った。「気にしなくてもいいよ。たまには失敗もあるよ」と父母。自分がご飯を炊かないと、夕食が成り立たない。ぼくの仕事の重みを感じた。これからも、一生懸命に家族のご飯を炊こうと思う。

                 07.08.19  朝日「声」欄に

<この時代に、と思うほどの家庭の繋がりを感じました、私達の子どもの頃を思い出された>
                                    (yuuji)

父親と子どもの会話

  「自衛隊のこと キミどう思う」

                  通信教育指導員 川戸珠実
                                               (横浜市保土ヶ谷区39歳)

 「自衛隊は必要だと思う。それとも必要じゃないと思う」。学校で聞きかじってきたのか、小学6年の息子が尋ねてきた。

 「キミはどう思う」 「必要ないよ。憲法で禁止されてるし」 「でもよその国が攻めて来たらどうする」。うーんと口ごもる息子に、答えのつもりで日頃考えていることを語ってみる。

 「よその国が攻めてきたらっていう、前提がおかしいんだよ。攻めてくるとしたら、何か原因があるからだよ。だとしたら、原因をつくらないことがまず大事じゃない。よその国と仲良く出来ることの方が、武器を持つよりも国を守ることになるという考えで、どうだろう」私たち自身は外交政策を決めたり、友好を進める法律を作ったりすることはできないけど、それをやってくれる代表を選ぶことはできる。そこまで話すと、「ああ、選挙だ」と息子。

 今回の参院選は憲法改正の発議に関わる可能性のある議員を選ぶ初の選挙だ。息子と会話するうちに、年金問題や閣僚の不祥事などで、この争点がかすんでいるのが心配になった。 

   07.07.20(金)  朝日 「声」から 

     私にも、こんな子どもの関わり合いがあったことを懐かしく思い出されました。

        軍備の増強に、虎視眈々と目論んでいる「A級戦犯者の3代目」とそのグループ達に

        翻意させる手だては無いものでしょうか、私達にあるとすれば、「選挙」による意志

  の表示をすること、そして、少しでもいい 踏み込んだ行動でしょうか。

                                                (Yuuji)



            監視社会はすぐそこまで近づいている、いやそこにいる。                                                      

           
どこに行っても、防犯カメラがあなたを見張り、携帯電話から居場所が判明し、コンピューターが

        あなたの顔から一瞬のうちに身元を割り出す。

        近い将来には、空港で、会社の受付で、また銀行で、人々は身分証明書やパスポート代わりに、

        自分の目を機械に見せるようになるかもしれない。

        写真は、目の虹彩による生体認証の技術を開発したコンピューター科学者のジョン・ドーマン


       (自分の虹彩のバターンをデジタル化して描いた特殊なコンタクトレンズをはめている)。

        こうした新技術の登場は、私たちの社会に大きな変化をもたらす。

              文=デイビッド・シエンク ジャーナリスト   写真=ジョージ・スタインメッツ
            

                                     

 世界一の監視国家 英国

2002年、ロンドン市内を走る2階建てバスの車体に「監視の目が市民を守る」という宣伝文句が登場した。

時は、ジョージ・オーウェルの小説『1984年』を連想させるそのトーンに、悪い冗談だろうと思った市民もいた。

だが、それは当局の真面目なメッセージだった。英国はひょっとすると世界一の監視国家かもしれない。全土に設置された400万台以上の防犯カメラのなかには、ワイパー付きの回転するカメラまである。

60年代から設置が進み、ゴミの不法投棄から強奪、脱税などの犯罪捜査に役立ってきた。今はテロ防止の手段にもなっている。

マンチェスターでは、治安当局者が通りや公共スベスの様子をモニターでチェックしている。

 ・もう隠れられない、トラックの荷台の中が丸見え

 ・どんなに変装しても顔を見分ける(顔認証システム)

 ・服の下まで丸見え裸同然に(後方反乱X線で)

 ・監視ネットワークは、あなたを会社でも、通りでも見ているのです。


この記事は、03,11号「ナショナル ジオグラフィック」誌からで、5年も前の古いものです。現状の進化ぶりはどうなっているのでしょうか。ご存知の方は掲示板でお知らせ下さい。
先般自衛隊が「変な行動をしていると」新聞等で報道されていました。しかし、マスコミは、もう知らん顔です。何か口止めをされたのでしょうか。                         yuuji











 <語りつぐ戦争>

                   村長を惨殺し持参の金強奪

                                無職 堀岡 新次郎
                              (大阪府豊中市 
88歳)

 中国福建省福州の南西、沿海部の高台に駐屯地はあった。終戦間近の1945年の中ごろのことである。小隊編成の部隊は、出没する便衣隊(ゲリラ)を掃討するため、すげ笠にポロの野良着姿で出撃した。

 小隊長の命を受けた下士官が村に潜入し、村民の安全を保証する代償として村長に金を強請した。数日後に部隊を訪れた村長はたちまち捕縛され、持参した金は巻き上げられた。

 私の任務は、彼を営庭の木にくくりつけ、徹夜で彼のための穴を掘ることであった。
 夜が明けて土壇場に彼を引き据えたとき、その従容たる態度に感服させられた。そして、一刀両断に首を切り落とした小隊長の剣の手練れに息をのんだ。

 強奪された金が何に使われたか、村長がなぜ殺されたのか、すべては闇の中である。

 首が切断された時の滝が落ちるような血の轟音は、今も生々しく耳に残っている。悪夢のような無残な事件であった。

              07.06.15 朝日 「声」から

   戦争中 こういう例は、茶飯事であったとと聞いている。この下欄に掲載している「蟻の兵隊」のドキュメント
   にも同様なことが報じられている。
   今、政治家の一部、または、政治家を志す若い方々の中にも「この戦争はやむを得ないもの」だった、と肯定
   する言葉が聞こえる。「やむを得ない」ことであったとしても、説明責任を果たしていない当時の政府高官、
   A級戦犯に対し、国民の一人として情けなさを感ずる。        yuuji


<あさひ ぴーぷる>

                          9条の意味世界に訴え


軍保有を禁じる憲法を持つ中米コスタリカ出身のロベルト・サモラさん(26)がNGO「ピースボー」で、日本を拠点に活動をしている。

 03年の米軍のイラク侵攻時、母国政府が出した米国支持の声明は違憲、と最高裁憲法法廷に訴え、違憲判決を勝ち取って脚光を浴びた。

  講演活動などで日本との交流を深め、昨春から東京在住。中南米への船旅で催す交流企画を担う一方、1月にナイロビで開かれた世界社会フォーラムに参加。「紛争が続く世界規模でこそ9条の意味があると実感した」

  憲法通り軍隊がない母国に比べ、日本は現実とのギャップが大きい。9条改正の動きには、「せっかく世界平和を願ってできた立派な条項なのに、まともに使わないまま変えようとするなんて、愚かなことです」。
                                   (竹村 恒一)

                  07.05.26(土)  「朝日夕刊」に

  世界にはいろいろと平和に貢献している方が居るものです、「ピースボート」の名を耳にすると
  「不愉快な暴れん坊」のイメージがったが意識を変えないと

        
                                    yuuji

                     

              9条と現実の矛盾受け入れる憲法「選び直し」

                                                                    加藤氏再論発表   加藤典洋氏

 文芸評論家・加藤典洋さんの『敗戦後論』が、戦争の死者の追悼のあり方をめぐって論争を引き起こしてから10年。
加藤さんが、そこで提起した憲法「選び直し」の諭をさらに深めた論文「戦後から遠く離れて」を、「論座」
6月号(51日発売)に発表した。

 加藤さんは、かつては様々な間題を「戦争の死者の場所から」考えていたが、「ふつうの人の場所から」考えるようになった。その観点からすると、10年前の議論は安倍首相の主張のようにすっきりしすぎていた、と振り返る。憲法9条は理念としては素晴らしいが、自衛隊の存在という現実と乖離し「恥の多い」生涯を送ってきた事実から学ぶべきだった。では、その落差をどうするか。

①理念に現実を従わせる ②現実に理念を従わせる ③現状維持、の三つの道がある。
①は「九条の会」などの立場だが、他国がミサイルを撃ってきたら、といった人々の不安に応えられない。
②は集団的自衛権の行使を憲法に盛り込もうとの考えだが、「高邁な理念」の輝きが消え、他国を攻めたくないと いう国民一般の思いに応えられない。

 加藤さんが選ぶ③は、矛盾を矛盾としてそのま受け取る。「他国が攻めてくると怖い、しかし、他国を攻めるようなことはもうしたくない」という人々の不安と願いに最もよく応える道だという。内田 樹・神戸女学院大教授の主張を踏襲する諭だが、そう考える背景を丁寧に述べている「敬愛する鶴見(俊輔〕さんには申し訳ないが」「畏怖する吉本〔隆明)さんには恐れ多いが」と思考を進める過稗はスリリングだ。 

 ( 07.05.01  朝日「文化」欄に )

<こういうことがベターであると考えていた、しかし、自民党・民主党に変えられてしまうのでしょう、

   60年前のことを現実に知っている私のような高齢者にも、「国を守る」との4文字に惑わせられてい

   る方がいて、「胸元通れば暑さを忘れ」なのか。>      <yuuji

 


 

「蟻 の 兵 隊」    奥村 和一 ・ 80歳、人生最後の闘いに挑む
                         監督 池谷 薫(いけや かおる)1958年 東京生まれ


 
今も体内に残る無数の砲弾の破片。それは“戦後も戦った日本兵”という苦い記憶を 、奥村
和一 (80)に突き付ける。

 かつて奥村が所属した部隊は、第2次世界大戦後も中国に残留し中国の内戦を戦った。しかし、長い抑留生活を経て帰国した彼らを待っていたのは、逃亡兵の扱いだった。
 世界の戦争史上類を見ないこの“売軍行為”を、日本政府は兵士たちが志願して勝手に戦争をつづけたと見なし黙殺した「自分たちは、なぜ残留させられたか?」真実を明らかにするために中国に向かった奥村に、心の中に閉じ込められてきたもう一つの記憶がよみがえる。
 終戦間近の昭和20年、奥村は「初年兵教育」の名の下に罪のない中国人を刺殺するよう命じられいてた。やがて奥村の執念が戦後60年を過ぎて、驚くべき残留の真相と戦争の実態を暴いていく。
 これは、自身戦争の被害者でもあり、加害者でもある奥村が、「日本軍山西省残留問題」の真相を解明しようと孤軍奮闘する姿を追った世界初のドキュメンタリーである。


日本軍山西省残留問題                        

 終戦当時、中国の山西省にいた北支派遣軍第1軍の将兵 59,000人のうち約2,600人が、ポツダム宣言に違反して武装解除を受けることなく中国国民党系の軍閥に合流。
 戦後なお4年間共産党軍と戦い、約550人が戦死、700人以上が捕虜となった。元残留兵らは 当時戦犯だった軍司令官が責任追及への恐れから、軍閥と密約を交わし「祖国復興」を名目に残留を画策したと主張。一方、国は「自らの意志で残り、勝手に戦争を続けた」とみなし、元残留兵らが求める戦後補償を拒み続けてきた。 2005年、元残留兵らは軍人恩給の支給を求めて最高裁に上告した


「以下、投書です」
            no subject        AS   2007/02/14/22:19:29 No.290

今の日本から戦争する気がなくても、9条が変わって集団的自衛権を行使できれば、アメリカが襲撃されれば同盟国である日本が報復しなければならなくなるのですよ。だから改憲を掲げた安倍首相を支持すれば、日本は戦争をするハメになるんです。間違いなく。これは誰が見ても間違いのない現実だと思うんですが。

蟻の兵隊見まし      yuka   2007/01/30/01:06:59 No.276

平凡な一教師です。日本はもはや戦前であるという言葉を、子どもたちを再び戦場に送り出さなければいけない日が来るのではかと恐怖を感じています。「蟻の兵隊」の中には、現実の戦争を体験した奥村さんの人間としての部分、兵士としての部分が描き出されています。これをみて、教育の力の恐ろしさを実感せざるをえませんでした。戦争のできる国にしないために、子どもたちを戦場に送らないために、自分に何ができるか、自問自答する日々です。

 

  私よりはるか年上の方が、権力に立ち向かっている、その行動力に、そして、三権分立と称している司法の方は、何を頭に描いて行動をしているのでしょうか。
 この奥村さんは、
自身が戦争の被害者でもあり、加害者でもあることの苦痛を抱えながら、山西省にわたって「罪の懺悔」をしながら、証拠調べを行っている姿(ドキュメント映画のよさ)みて、つくづく感じうるところがありました

 この山西省事件については、過去に聞いたことはありますが、これまで深く知りえたことは無く、マスコミも言い伝えることが少なかったと思う。そして、奥村さんは旅団長か師団長でしょうか、最高責任者に対しての抗議の声が強く、このことが私の耳の奥に残った。

             
この映画は、都内そして全国で放映が続いています。インターネットでお調べください。     


この「東中野ポレポレ」は100席ほどの小さな映画館です
だが、続々と素晴らしいドキュメントを主に、上映されている
今は、エドワード・サイードのパレスチナ、イスラエルの苦しみを
美しいカメラ映像が光っている。12月15日まで


  下線文字部分をクリックすると投書へ
(註) : このページの後の部分(06.06.13)には、三池 終わらない炭鉱物語の投書が
掲載されています、親思いの女性からの投書です。
「東中野ポレポレ」映画館では
この11月4日~24日まで再上映をしていました。

映画館は、東中野駅西口北側出口(又は地下鉄大江戸線A1出口)より
ともに徒歩1分です。電話03-3371-0088

また、10/14よりアンコール公開「
プージェー」がありましたが、
「東中野ポレポレ」映画館では、もうすでに終了してしまいました。
しかし、
他の映画館では再度上映しています。
モンゴル少女のドキュメント映画で素晴らしいものでした。
続々とドキュメントものが上映されています。

皆さん如何ですか。
インターネットでは「ポレポレ東中野」で検索ができます。

(06.11.15         yuuji)





                                     
戦わず逃げる それが愛国的
                                                                           無職 北村 小夜
                                                                                              (東京都大田区 81歳)
   
 
 日新聞の世論調査結果(125日朝刊)についての「守る気概欠き 何が愛国心か」 (29日)に反論します。「仮に外国の軍隊が攻めてきたら」という設問は、危機感をあおる風潮に乗っているようで疑問ですが、どう対応するかと問われたら「逃げる」 「降参する」のが最も愛国的だと思います。戦えばそうほうに犠牲者が出て、国土を荒らすからです。それを防ぐことは愛国に違いありません。

 戦中、教育勅語を習いました。「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ‥…」。国家指導者に絶対的に従う精神を植え付けられ、私もその実行を願っていました。
 
 争は国内ばかりかアジア諸国にも多大の犠牲を強いました。その反省に立って日本は恒久平和を願っているのではありませんか。

 日本の侵略や植民地支配に国民が向き合うべき姿勢を尋ねた質問に、大いに反省する必要がある」との答えが32%あったことは、世論の健全さを感じます。

 外国から攻められない国をつくるには、国策に唯々諾々と従うのではなく、政府を監視し、必要な批判や抗議をしていくことこそ愛国です。それが、戦争をした世代の実感です。

                                              7.02.04  朝日 「声」欄に

  この方は、私の先輩に当たりますが私の思う心と共通しているようです。
 2月6日の朝日では、ドイツの詩人ハイネの言葉に「
矢は弓弦から飛び去るやいなや、もはや射手のものではない」と、これは、柳沢厚労相に対して引用したことであるが、厚労相は少子化対策に関して、人口を数合わせして国力を強化しようと考えている模様。それは、どうしても軍備に繋ごうとしているのでは、そんな感じがしてならない。
 戦前・戦中の「
生めよ増やせよ」の匂いが漂ってならない。    yuuji

                           政治の不条理、私は忘れない
                                    主婦 宮川 道子
                                 (熊本市 37歳)


 私は忘れない。アメリカがイラク侵攻を始めた20033月を忘れない

 日本の首相がアメリカの軍事行動を支持し、自衛隊をイラクへ送ったことを忘れない

 そのために憎悪の対象になり、イラクで殺された日本人がいたことを忘れない

 郵政民営化ばかりがクローズアップされ、自民党が圧勝した昨年の選挙を忘れない

 憲法改正を唱える安倍氏が首相の座に着いた今年の秋を忘れない

 そして大切な教育基本法が強引に変えられてしまった。タウンミーティングのやらせ質問という意図的な世論の操作までして。名称が変わるだけであるかのような印象を与えつつ防衛庁が防衛省に昇格した。私は悔しい気持ちを忘れない

 
私は過ぎたことをすぐ忘れてしまう。何年か後に、なぜこんな事態に陥ってしまったのかとおろおろと人に尋ねなくてもいいように、ここに書き留め覚えておきたい。

    06.12.23(土)朝日 「声」

 このことは、私も忘れることは出来ませんね。何故ならば軍事行動に誘導された、70年前の日本の政治にあったからです、度々自民党の議員さんが口癖のように話す「文民統制」(12/29夜のテレビで前防衛長官も)で確保できると、それは信じられないのです。小さい子供達が「徴兵」という名のもとに必ず戦争に、恐ろしいことです。
    皆さんこんな予感はありませんか。左図のような、日本であって欲しいのです。
yuuji



 

                  新渡戸「武士道」人気なぜ

 武士道 新渡戸がベルギーの学者に日本は宗教教育をせずにどう道徳を教えているのか問われた経験や、米国生まれの妻(メリー夫人)から日本の思想や風習を聞かれたことから、1900年に米国で英語で出版。

          かんいけんにん         そくいん
義、勇・敢為堅忍の精神、仁・側隠の心、礼、誠、名誉、忠義、武士の教育および訓練、婦人の教育および地位などについて書いている。

 教育基本法改正論議のなかで、旧5千円札の肖像でも知られる新渡戸稲造(18621933)が注目を集めている。伊吹文明文部科学相や与党議員がその著書『武士道』を引用すれば、改正に反対する大学数職員は新渡戸の思想は現行の教育基本法にこそ生きていると主張。なぜ、新渡戸はもてはやされるのか。               (三ツ木勝巳)

 「日本の規範として大切なのは道。商人道であり武士道です」「日本人に規範意識を教えたのが『武士道』という本。そういうことを大切に経済的な小泉改革を補完していきたい。これが安倍改革の基本」

 伊吹文科相は1122日の参院教育基本法特別委で、改正案の第2条「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」態度について、こう答弁した。

 河村建天元文科相も15日の衆院特別委で、道徳教育を「日本は武士道でやっている」と発言した。一方、新渡戸が初代学長を務めた東京女子大の教職員有志は、1027日付で改正に反対のアピールを発表。新渡戸が常に強調した「精神の自由」と「等しく尊重される個の価値」は「現行基本法が掲げてきた理念」として改正の動きに反対している。

 同大の湊晶子学長は、現行教育基本法の制定にかかわった、南原繁や河井通らが新渡戸の教えを受けたことを指摘する。新渡戸はキリスト教徒。湊学長は『武士道』でも、最後の章でキリスト教を根底に置いた個人の大切さが説かれていることを挙げる。

 「改正案第1条では『個人の価値をたつとび』が消え、前に『公共の精神』が入る。だが新渡戸は、まず『私』である『個』を確立し、その個が集まって共同体の『公』が確立されると考えた。個すなわち、人格の確立が教育の最大の目的のはず」という。

 なぜ、新渡戸の『武士道』なのか。小島毅・東京大助教授(中国哲学)は、台湾の李登輝前線統が03年に日本語で出した『「武士道」解題』の解釈が「象徴的だ」と語る。

 「武士道が近代につながりうるとして美化した。ある識者は、あの本で三島由紀夫のような武断的なものとは撃つ正しい武士道があることがわかったというニュアンスのコメントを寄せている。GHQに否定された武士道を再評価するうえで機能している」


 小島助教授は、新渡戸の武士道は、日本の伝統文化についての実証的、歴史的、学術的な書物ではなく、クエーカー教徒の新渡戸の頭の申で再構成したもので、野蛮なものを排除して清く正しいものにしている、と語る。そんなある種の純粋さが現在の「人気」につながっているのか。

 映画「ラストサムライ」(03年)や、新渡戸の『武士道』を引いた藤原正彦・お茶の水女子大教授の『国家の品格』 (05年)が、人気にさらに火をつけた。

 ジャーナリストの田原総一朗さんも「『武士道』は、利害につながりやすい理屈を、重ねることはしていない。藤原さんもそこを買っている。明治以来、欧米に追いつこうとやってきた日本人が今、生きるとは何かを考えるとき、クローズアップされるのも、必然性はある」と話しっつ、「だが、100年前の本。そのまま復活したとすれば、とんでもない」と指摘する。

 新渡戸が『武士道』を書いたとき、すでに武士階級は消滅していた。同書の翻訳を手がけた佐藤全弘・大阪市立大 名誉教授は「新渡戸は武士道は消えてもいいが、担ってきた徳目をどう継承するかを言いたかった」と話す。西洋の騎士道はキリスト教が受け皿になり、紳士道として近代でも尊重された。「日本でも西洋とは違う形のキリスト教が徳目を担ってほしいというのが新渡戸の結論。きちんと理解しないと、封建道徳に後戻りする主張が生まれる」東京大の小島助教授は「新渡戸の『武士道』は、江戸期までに実在した武士道とは違う。近代になってつくられたものだ。それを教育現場で回復せよと言うのは、実はとても非歴史的だ」と指摘。一方で新渡戸には、旧制二島校長として教育勅語を教えた側面もあることを挙げ、続けた。

              06.12.06  朝日「文化」欄に

            『武士道』の記事は後ろにも有ります

     「あらゆる思想は後の解釈で、どちらにもなる。それが教育基本法の改正論議ではシンボリックに出ていますね」

                         過ぎ去った古い時代のことを全て鵜呑みは良くない ネ   ( yuuji )


                     

                       「はい」は禁句、会話をつなぐには

                                                俳優・演出家  わかぎ ゑふ さん

 芝居を書き、演出をし、出演。テレビとラジオ、エッセーも・…‥。この夏は2本の芝居を抱えていたところに歌舞伎の演出が舞い込んだ。

 「できるわけないやん」と一度は断った。でも歌舞伎は長年の夢。座頭の坂東三津五郎さんにも「大丈夫、できるよ」と背中を押され、腹をくくった。「こうなったらやり逃げや」。大盛況のうちに千秋楽を迎えた。

 「物事の見方って簡単に反転できるんですよ」。多忙な日々を乗り切るコツ。「しか」より「も」で考える。

  「2時間 しか ない、2時間 ある、ぼら、変わるでしょ」

 絵を措くのが好きで、役者になるつもりもなかった。少女マンガブームの高校時代、マンガをもとにした芝居の背景を頼まれた。ついでに、「役も足りないから出て」。これが原点だ。

            ある時、大阪弁の芝居を書いていて気づいたことがある。
            「会話の基礎編で話すの
が東京。大阪は応用編なんや」。

   「これ食べる?」って聞かれ「はい」と返事するのと、


    「食べる食べる、それ好きやねん」と応じるのでは会話の展開が違ってくる。

「はい、はシャッターを閉める感じ。楽でしょうけど、本音でしゃべらないとわかり合えない」。だから、劇団で「はい」は禁句だ。

 会話は人生最大の娯楽だと思う。「だから大阪人はおしゃべりと言われる」

                      文 ・小西 宏
                      写真・高橋一徳
    06.10.22 朝日「もっとヘルシー」から

 
                          ナショナリズムを越える道

 アジアでは人やモノ、情報の流れが加速し、国境の壁がどんどん低くなっている。一方で、ナショナリズムが高まる傾向があり、歴史問題を発端に中国や韓国で反日感情も強まった。ショナリズムの悪循環を絶ち「東アジア共同体」づくりへと駒を進めていくために、日本がなすべきことは多い。

                  (論説委員・隈元倍二)


  日本の課題 

 感情的な衝突が起きないよう、まず日本が歴史と向き合う。侵略の反省を行動で示す。

● 誤解の増殖を防ぎ、お互いの理解を蓄積していく。そのために情報発信、人的交流を強化する。

 アジアの多様性を生かしながら、市場の力と互恵の実益を重視して共同体づくりを進める。

     06.11.09   朝日新聞

          (この「日本の課題」によるごとく、侵略の反省と行動・お互いに人的な交流・市場の互恵・が大事であることを
                                       理解できた。)   yuuji


     朝日「声」からさらに

                                核兵器には善意あるだろうか
                          無職 川崎 博久
                         (岩手県滝沢村 76歳)

 隣国が核実験をした。
 その行為は断じて許すことはできない。しかしながら、米国など核保有大国が、自分の国のことは棚に上げ、一つの国を一方的に非難する資格があるだろうか。

 ちなみに、米国は1945年に最初の核実験を行い、未臨界核実験を含めて、この60年間に約1千回に及ぶ核実験を重ねた。今年も8月末に未臨界核実験を強行したばかりである。加えて包括的核実験禁止条約(CTBT)への批准を拒んでいるのが、他ならぬ米国である。「おまえのところの核は悪い核だから廃棄しろ。おれのところのものは善い核だから温存する」という論理が通るのだろうか。

 際限ない核開発競争とその拡散は、人類滅亡の可能性を増大させるだけである。この機会に、あらゆる国が核に対しての幻想を捨て、核廃絶廃棄を行うように国際世論を構築すべきである。

       06.10.21   朝日 「声」欄



      

    やはり不可解 核兵器の善悪

     主婦  中西 静 
     (埼玉県桶川市 79歳)

 「核兵器に善悪 あるだろうか」 (1021日)の投稿に、本当に同感です。(上記に)

 核兵器を持つ目的は、お互いの牽制や、外交で優位に立つためとされています。が、ことが起こったら、広島や長崎の比ではない、地獄が待っています。人間は平和のために力を尽くすものであり、破壊のために行動してはいけません。

 大学生の孫に、「どうして米国が核を持っていても良くて、北朝鮮なら駄目なの?」と聞きました。孫は「同じようにピストルを持っていても、片方は警察で、片方は悪党だから仕方ない」と説明してくれましたが、果たしてそうでしょうか。やはり分かりませんでした。

 米国が正義の警察だというのなら、包括的核実験禁止条約(CTBT)を批准してほしいと思います。日本のように「非核三原則」をうたう国には絶対、核攻撃はしないと国連ででも批准したら、同様の国がたくさんでき、どんなに平和になるでしょう。

 中学生の孫も、私の先の質問と全く同じ質問を投げかけてきましたが、私は答えられませんでした。どなたか、こんな素朴な疑問に答えて下さい。

        06.11.09   朝日 「声」欄





   朝日「声」から
             
北朝鮮対応は、論議に節度を

                                                       大学非常勤講師 岩辺泰吏
                        (東京都足立区 63歳)

 北朝鮮が核実験をしたと発表した。このような無謀は許されるものではない。しかし、こういう時にこそあえて、「論議に節度を」と言いたい。

 すでに、朝鮮学校と同校生徒に対するいやがらせや暴行が見られる。抵抗しない弱いものに向かう「私的制裁」は恥ずべきことだ。本当に核実験であったのかどうかを確定するのに数日かかると発表されている段階で、それ以上の「脅威論」が展開されている。一部には「核武装論」さえ主張される。日本はアメリカの核の傘の下で、自衛隊という軍事力を持っている。安倍新政権は戦争放棄をうたった憲法
9条を改め「戦争のできる国」を目指そうとしているかのようだ。日本の過去の侵略戦争への反省もあいまいだ。これらの動きは北朝鮮だけでなく、アジアの国々に不安を与えていないだろうか。

 私たちは北朝鮮に抗議もするし制裁もする。それは私たちの安全のためだけではなく、世界の平和を求める普遍の腰いに立つからだ。節度ある議論で、アジアの人びとの理解を得られるようにしたい。

       



             米国の主導で、核廃絶会議を

                             無職 藤本 豊
                          (千葉市稲毛区 76歳)


 断固たる措置とか、断じて許せないとか、言葉をどんなに荒らげても、北朝鮮の核実験をやめさせることはできなかっただろう。

 それよりも、連載「核の衝撃」(
11日朝刊)で書いているように「世界は『核保有国』となった北朝鮮との共存を余儀なくされそうだ」ということなのだ。世界には、アメリカを筆頭に核を保有する国がたくさんあって、アメリカは北朝鮮敵視政策を撤回していない。北朝鮮が自国の安全を守るための抑止力だと言っても、それをとがめることはできないだろう。

 米ソ冷戦時代には地上に何万という核ミサイルがあったが、1発も発射されなかった。核兵器は保有よりも、使用することがより問題なのであって、使用しないように世界各国が協力していかねばならない。

 そもそも、核は不拡散はなく、廃絶しない限り安心はできない。そのためは最大保有国のアメリカが、核廃絶会議のテーブルを用意しなければならない。ただ騒ぐだけでは何の解決ももたらされない。日本はアメリカに核廃絶会議の開催を促すべきだろう。


                               以上2件は、06.10.14() 朝日 「声」

                          (下記の「天声人語」に問いをしたが、この声2件の発言で私の疑問が解けたような気がしました。)   yuuji

         § 北朝鮮制裁決議の骨子

●北朝鮮の核実験発表に最も重大な懸念を表明

●国連憲章第7章の下に行動し、同章41条に基づく措置をとる
●北朝鮮への戦車などの通常兵器、核・弾道ミサイルほか大量破壊兵器関連物資、ぜいたく品の供給、売却、移転の阻止
●北朝鮮の核・ミサイル計画関与の個人・団体の在外金融資産の凍結
●北朝鮮に出入りする貨物の検査を含む協調行動
●安保理の全理事国による委員会を設置して履行状況を検討
●必要なら追加的措置

 
 
        § 国連憲章第7章についてのキーワード

国連憲章第7章 
   安保理が平和への脅威や破壊、
侵略行為を認めた場合、強制措置をとることができると定めている。第7章に基づく安保理議決によって、全加盟国に対して強制力を持つ制裁が可能になる。41条は経済制裁や外交断絶などの手段がとれるとし、42条は平和的な手段が尽くされたと判断された場合に武力行使を認めている。



(日本に住む私たちは、どうしても武力行使を拒絶しないと、どんなことになるかを、深く認識しなければならない。   yuuji)


 「天声人語」                   平和に向かって

 そろって小さな手をあげて、園児が道を渡ってゆく。そばを犬を連れた人が通るじ色づいた木々の葉が散りかかる。こんな情景が身にしみるのは、深まる秋のせいだけではない。北朝鮮が核兵器を手にしたとすれば、今ここにある当たり前の平和が、いつか揺らぎかねないからだ

1914年に第一次世界大戦が始まった頃、ドイツの作家ヘルマン・ヘッセは「平和」という詩を書いた。

「みんなそれを持っていた。/だれもそれを大切にしなかった……おお、平和という名は今なんという響きを持つことか!(高橋健二訳)

▼開戦で、学者や作家は感激的な調子で愛国心をあおった。世界市民的な思いが強かったヘッセは、住んでいたスイスの新聞に書いた。

 「愛は憎しみより美しく、理解は怒りより高く、平和は戦争より高貴だ」

▼彼は裏切り者、売国奴とののしられ脅迫を受けたという。それでも二つの大戦に反対し続け、終結した45年に「平和に向って」を書く

▼「『平和!』だが  心は敢えて喜ばうとしない。/心には涙のほうがずっと近いのだ。/私たち哀れな人間は/善いことも悪いこともできる。/動物であると同時に神々なのだ!」。

度重なる戦禍の果てにようやくたどりついた平和の重みとかけがえのなさが感じられる

▼暴走する北朝鮮の「核」を、どうしたら不発のまま終わらせられるのか。この難問については、「国益」を超えた「人類益」の立場で、ことにあたってほしい。各国は今の世界にだけではなく、未来に対しても大きな責任を負っている。

                                     06.10.12  朝日 「天声人語」


  (分からなくなるのだ!, 誰か以下を教えて)、

どうして、核の保有国(米国等)が大きい顔をして、北朝鮮の核実験に対して反対するのかが分からない、核を持っていない日本が主張することは、正しいと思うのだが・・・?。

                            答えは簡単なはずだが、どのマスコミも言わない。                                                                       yuuji



                  06.10.02(月)    横浜赤レンガ倉庫で「星野 富弘花の詩展」に友達と出かけた、その模様
過去に群馬県東村の「富弘美術館」に
行ったことは有るが、再確認のために
でかけた。
この百合の花弁にタッチする繊細な筆
先にみとれてしまった。

自由のない手足にかかわらず凄い
桃の花との対話している様子が・・・。
「美しい国」この方の発想が先です、
安倍総理 言葉を変えたら如何。
「ぐみ」との対話を良く表現している。
「そばの花」をみて、自分の指と比べている
が、そのときの彼の心境は。





日課とする朝の練習で滑らかな泳ぎを見せる  佐藤さん

佐藤さんとは、仙台の西公園のプール
開きに(古橋・橋爪・古川を招待するた
めの困難な動きに)いろいろ関わったこ
とを思いだされる。
なお、この西公園のプールは近々無くなってしまうことが決まったとのことで、何か
寂しい。


                    先輩OBの佐藤さんおめでとうございます

 
日本体協は12日の理事会で、長年スポーツを続け、世界記録などの実績を残した高齢者の功績をたたえる「第1回日本スポーツグランプリ」受賞者7名に、兵庫国体開幕の9月30日に神戸市内で表彰する。

▽内田雪江(94)=熊本県、卓球
▽佐藤利次(91)=宮城県、競泳
▽天野耕兵衛(85)=石川県、剣道、ハンドボール、陸上
▽宮本海(87)=静岡県、剣道
▽守田貞義(90)=東京都、ラグビー
▽森田真積(92)=東京都、陸上
▽原口幸三(96)=宮崎県、陸上


 以下の主旨が、06.09.24(SUN)仙台「河北新報」に掲載された

  「一番楽しい」と、泳ぐことは毎朝の日課。加えて飽くなき向上心が記録を伸ばしている。毎日泳ぐ距離こそ以前の半分程度の約600メートルに減ったが、推進力強化のために手や脚だけで泳ぐなど練習を工夫。

 「漫然と泳いでも記録は出ない」と言い切る。ペースを上げるため自分より若い70代の選手と練習を重ねることも多いという。
現在、目と耳が少し悪い程度で、至って健康。「自分の記録を破ることが励みになっている。4年後に9599歳の部で新記録を出したい」と意気軒高だ。


世界記録保持者原口幸三さん(96)=宮崎県=ら全国の80歳以上6人が選ばれた。

佐藤さんの競技履歴は75年、背泳ぎの選手として国体に出場するなど活躍。国内外の70歳以上の高齢者大会で世界記録を更新し続ける。
以上「河北新報」

佐藤さんと私の出会いは、終戦の直後でした。
焼け爛れた電話局ビルの殺伐としてた職場でした、その頃ご一緒した方々とは、便りは途絶え、気がかりなときに兄よりの知らせによって、この快挙を知った。


佐藤さんは直腸に問題があって人口肛門での生活、さらに、糖尿病に犯されていることのことで、若い頃好物であった「酒」も断絶して精進の毎日であったことをお聞しました。

   佐藤さん
「本当におめでとうございました」
若い頃お世話になったことが昨日のように思い浮かびます
                            yuuji



       

1997.08 時点の記録 SPORTS 仙台から

  1915年(大正4年)710日仙台市生れ。
     仙台スイミングスクール所属。仙台水泳協会顧問。

世界記録  50m背泳4315 長水路
100m背泳13911 長水路
日本記録 100m背泳13911 長水路
200m背泳34007 長水路
 25m自由形1573 短水路
 25m背泳1974 短水路
100m背泳13804 短水路




                                  「天声人語」


                                                    「ハーメルンの笛吹き男」

 中世のドイツの町に不思議な男が現れる。男は、報酬をもらえるなら、人々を悩ませているネズミを全部退治してやると約東する。グリム兄弟の「ハーメルンの笛吹き男」の物語だ

▼男が笛を吹くと、家々からネズミが現れ、男の後をついて川に入り、おばれた。しかし、金が惜し くなった町の人たちは支払いを拒絶する。男が再び笛を吹くと、今度は子どもたちが集まってきて 男について町から消えてしまった

▼先週亡くなった歴史学者の阿部謹也さんは、この伝説を手がかりに、中世ヨーロッパの庶民の生活を浮き彫りにした「ハーメルンの笛吹き男」を著した。西洋史学でほとんどとりあげられなかった民俗学の分野や民間伝承、さらに都市下層民の生括に目を向けようとした、という
(『阿部謹也著
 作集』筑摩書房)

▼阿部さんは以前、「一言政治」で注目された小泉首相を「ハーメルンの笛吹き男」にたとえることについて、「自然なこと」と述べた。「小泉さんの言葉が空虚なのは、理念や理想が欠如したまま語られる から」(アエラ)

▼そしてそれがまかり通るのは「私たち日本人全体が理念や理想を必要と思わず、今もって〝社会″ではなく〝世間″の中で生きているから、にほかならない」。〝世間″とは「金や名誉、義理」などへの関心でできた世界のことだ


▼小泉内閣で「構造改革」の旗振り役だった竹中総務相が、参院議員を辞任したいと述べた。任期は4年近く残っているが、「笛吹き男」と共に旗も去ってゆくのか。改革はまだこれからの筈なのに

                       06.09.16 朝日「天声人語」



「天声人語」

 子供の視点から戦争を描き続けた、英国の児童文学者ロバート・ウ.ェストールに、「弟の戦争」(徳間書店)という作品がある。主人公は15歳の少年トム。両親と三つ年下の弟アンディと暮ら していた

1990年夏、そのアンディが突然、とりつかれたように意味不明の言語をしゃべり始めた。アラビア語だった。湾岸危機で従軍したイラクの少年兵の意織が、弟に乗り、弟は、ひとの苦しみに極めて敏感な性格だった。それまでも、写真で見た飢餓に苦しむエチオピアの子どもに、とりつかれるように感情を移入したことがあった。トムはアンディを助けようとするが、弟の意識はイラクの少年兵との間を行ったり来たりする

▼やがて米軍の猛攻が始まり、少年兵の目を通して戦場のむごさが伝えられる。それは、弟の体が目に見えない力ではねとばされるまで続いた。そのとき、少年兵は死に、弟は意識を取り戻した

▼戦争を見る目は、どうしても一方に偏りがちだ。地上の戦死者の姿が見えない映像では、本当の戦場は分からない。物語は、超人的な共感能力というフィクションを使って戦争を反対側からも描き、みごとである

▼ウェストールは、執筆後間もない93年に死去した。その後起こったイラク戦争では、子どもを含む民間人多数が巻き添えになった。イスラエルとレバノン過激派との紛争でも、同じ悲劇が繰り返されている。日本の私たちは、戦争の実相をどれだけ知っているだろうか。他者への共感能力の大切さを訴えた作品の重さを、改めて思った

                                  06.08.23 朝日「天声人語」から



               between

                 テーマ:朝ごはん  若い男性に多い欠食

 生活習慣病の増加や食生活の乱れなどを見て、国は国民の食生活改善に乗り出しました。「食育推進基本計画」の目標の一つは、30歳代男性で23%という朝食の欠食率を15%以下に抑えることです

 でも、
beモニターのみなさんは9割の人が朝食を「ほぼ毎日」とるとのこと。3年前に行った同様の調査と大きな差は見られませんでした

 しかし年代別でみると、「ほぼ毎日」食べていない
20代以下の男性が24%も。彼らの半数以上は就寝が0時以降。宵っ張りな生活が、欠食と関係ありそうです

 朝食メニューは、パン派が優勢。ただし「ごはんを食べたいが面倒」(愛知、39歳男性)           

 
という人も多いようです。乳製品や卵が人気の一方で、肉や魚は10位以下。食事時間を気にする人が多いようです「小学校に勤めているが、確かに朝食抜きの児童が増えている」(大分、48歳女性)

というように、子どもの朝食離れは深刻です。  でも、学校で朝食を出すことには「きちんと用意している家庭に悪影響を及ばす」(三重、31歳女性)

「朝食後の排便の習慣はどうするの」(広島、
53 歳男性)と約6割もの人が反対でした。一方、「朝食を食べないことが当たり前ではないことを知るのは必要」(愛知、46歳女性)

との賛成論や、

「仕事をしていて手がかけられないのが心配。食べさせてくれればありがたい」(岐阜、
41歳性)


という切実な声も。

                    06.08.26 朝日「between」から








湯川博士生誕100周年であると聞くが
この写真を見る限り、当時のこのご夫
妻の様子が、仲睦かしく、そして、
微笑ましく感ずる











若い頃の吉田香代子さん














         「核で殺した」ぼろぼろ涙

「アインシュタインは『罪のない日本人を殺して申しわけない』といって泣きはった。私たちの手を握り締め涙をぼろぼろ流して」

 湯川スミはまるで昨日のことのように、小林康子(29)に話しはじめた。小林は東京の美術出版会社・世界文芸社に勤めている。
049月、「815国際平和美術展」の打ち合わせで京都の湯川邸を訪ねたときのことだ。

 
1948年、湯川秀樹は、米プリンストン高等研究所に招かれ、妻スミと渡米した。アインシュタインが「会いたい」といってきた。ユダヤ人の天才科学者は、ヒトラーが原爆を先に手に入れるのを恐れ、米大統領ルーズベルトに手術を書いて核兵器開発を勧めた。しかし広島、長崎の惨禍を知り、深く悔いていた。スミの記憶「このままでは人類が滅びてしまうかもしれん。そうならんようにどうすればよかろうか。秀樹さんとアインシュタインが相談して世界連邦が一番いいとなった」


 戦争をなくすために世界中の国々でひとつの連邦政府をつくろう。そんなユートピア思想は大戦前から欧米にあった。「夢物語にすぎない」とみられていたが、大戦のすさまじい破壊や原爆の恐怖が人々を振り向かせる。

 
46年、ルクセンブルクで世界連邦をめざす国際組織が生まれた。日本では敗戦の年の12月、尾崎行雄が国会に「世界連邦建設に関する決議案」を出した。日本人初のノーベル賞を受けて苦しい時代に人々を元気づけた秀樹は国際組織の会長を務め、81年に死去。スミは遺志を継ぎ、87年、名誉会長になった。


 南画を描くスミは毎年、「8・15」美術展に出品した。ことしは3月に色紙を小林に渡した。原爆ドームの絵に、秀樹の詠んだ歌。

    まがつびよ ふたゝび こゝに くるなかれ

       平和をいのる 人のみぞここは

 来年は秀樹生誕100周年。「忙しくなりそうやね」。小林が聞いたスミの最後の言葉になった。それから2カ月後の514日、スミは96歳で逝く。

 秀樹は「世界連邦は昨日の夢であり、明日の現実である。今日は昨日から明日への一歩である」と呼びかけた。その夢にひきつけられた人々のなかに平凡社の創業者下中弥三郎もいた。


 下中は大アジア主義者で大政翼賛会に協力し、戦後、公職追放になった。世界連邦運動に力を入れるようになり、52年のアジア会議に、東京裁判で「A級戦犯は全員無罪」と主張したインド人判事パルを招く。「日本無罪論」を唱えた評論家田中正明も下中と近く、この運動に加わった。

 55年下中は核廃絶と憲法の平和主義をかかげて、秀樹たちと「世界平和アピール7人委員会」をつくる。

 科学者朝永振一郎、作家川端康成らも入れ替わり名を連ねた。04年、翻訳家池田香代子(57)がメンバーに入った。

 池田は学生時代からノンポリだった。01年、911同時テロとアフガニスタン攻撃に「ショックを受け、いても立ってもいられなくなって」、アフガン・パキスタン国境地域で診療する医師中村哲(59)の講演会を聞きに行った。

 
私にも何かできないか。池田は「世界がもし100人の村だったら」を出版し、ベストセラーに。印税をアフガン難民救援などにあてた。ことし6月、池田たちは米国とインドの
原子力協力に警鐘を鳴らすアピールを出した。委員会発足から数えて88回目だった。

 宇都宮憲爾(
80)は広島で育ち、弟や親類が被爆している。核廃絶運動に飛び込み、湯川夫妻と親しくなった。いま世界連邦運動協会の理事長。「昭和40年代までは運動に熱気があったが、その後は低調に。いくらやってもこれだという結果がみられず、失望感があったからでしょうか」

 核を持つ国が増え、民族や宗教もからんで、火種は尽きない。それでも宇都宮は言う。「いくら夢物語だといわれようと、世界連邦しかない」。昨年8月、国会の戦後60年決議に「世界連邦実現への道の探求」という言葉が、盛り込まれた。未来への足がかりになると宇都宮は信じている。

                          (大室一也)

            0608.23  朝日 「世界連邦夢で終わらぬ」か








                       「天声人語」 06.08.10

 「夏のあらゆる星座が、われわれにいどみかかるようにして出ている」。司馬遼太郎さんはモンゴルで、満天の星に押しひしがれるような体験をした「うかつに物を言えば星にとどいて声が星からはね返ってきそうなほどに天が近かった」(街道をゆく・モンゴル紀行)

▼大草原を渡る風、空に浮かぶ雲、果てしない大地。詩人ナツァクドルジがうたう。「広く大いなる荒野原/南のかたをさき守る砂丘の海原/これぞわが生れしふるさと/モンゴルの美しきくに」(田中克彦『草原と革命』晶文社)

▼チンギス・ハンがモンゴル帝国を創設して今年で
800年になる。帝国はアジアから欧州にまで版図を広げた。そのころ西に遠征したと思われる兵士が、白樺の樹皮に書き残した望郷の詩がある。「今やときぞ、我とびたたん/我は呼びかく/我が母に、何にもましていとしき母に‥…・今こそ我、故郷に帰らん」

▼同じ13世紀、チンギス・ハンの孫フビライは鎌倉時代の日本に遠征軍を送る。文永・弘安の役でいずれも失敗した。望郷の念を抱きっつ倒れた兵士もあっただろう
▼この元寇の後、北条時宗は鎌倉に円覚寺を閲創した。蒙古襲来による死者を、敵味方の区別なく弔うことが建立の一因だという

▼今日、小泉首相がモンゴルに飛び立つ。星空の下で、元寇の時代にも思いをはせてもらいたい。、他国を問わない弔い方は、現代の追悼のあり方にも示唆を与える。誰であれ、いやしくも一国を代表する人物なら、他国の戦没者の思いにも目を向けるべきだろう。


      06.08.10()


           嘆かわしい首相の論法

 靖国神社参拝にこだわり続けた5年間の、小泉首相なりの最終答案ということなのか。それにしては、なんともお粗末と言うほかない。

 3日付で配信された小泉内閣メールマガジンで、首相は年にl度の参拝に改めて意欲を示した。

 そのなかで「私の靖国参拝を批判しているマスコミや有識者、一部の国」に、こう反論している。「戦没者に対して、敬意と感謝の気持ちを表すことはよいことなのか、悪いことなのか」悪いなどとは言っていない。私たちを含め、首相の靖国参拝に反対、あるいは慎重な考えを持つ人々を、あたかも戦没者の追悼そのものに反対するかのようにすり替えるのはやめてもらいたい。首相はこうも述べている。「私を批判するマスコミや識者の意見を突き詰めていくと、中国が反対しているから靖国参拝はやめた方がいい、中国の嫌がることはしない方がいいということになる」これもはなはだしい曲解である。

 日本がかつて侵略し、植民地支配した国や韓国が
A級戦犯を合杷した靖国神社への首相の参拝に反発している。その思いにどう応えるかば、靖国問題を考えるうえで欠かすことのできない視点だ。

 ただ、それは私たちが参拝に反対する理由のひとつに過ぎない。首相の論法はそれを無理やり中国に限定し、「中国なにするものぞ」という人々の気分と結びつけようとする。偏狭なナショナリズムをあおるかのような言動は、一国の首相として何よりも避けるべきことだ。

 その半面、首相が語ろうとしないことがある。あの戦争を計画・実行し、多くの日本国民を死なせ、アジアの人々に多大な犠牲を強いた指導者を杷る神社に、首相が参拝することの意味である。

 戦争の過ちと責任を認め、その過去と決別することが、戦後日本の再出発の原点だ。国を代表する首相の靖国参拝は、その原点を揺るがせてしまう。だから、私たちは反対しているのである。昭和天皇が
A級戦犯の合杷に不快感を抱き、それが原因で参拝をやめたという、側近の記録が明らかになった。国民統合の象徴として、自らの行動の重みを考えてのことだったのだろう。もとより中国などが反発する前の決断だった。

 国政の最高責任者である首相には、さらに慎重な判断が求められる。

 憲法に関する首相の強引な解釈もいただけない。憲法
20条の政教分離原則は素通りして、19条の思想・良心の自由を引き合いに、こう主張した。「どのようなかたちで哀悼の誠を捧げるのか、これは個人の自由だと思う」

 
19条の規定噂国家権力からの個人の自由を保障するためのものだ。国家権力をもっ首相が何をやろうと自由、ということを定めた規定ではない。

 こんなずさんな論法で、6度目の参拝に踏み切ろうというのだろうか。15日の終戦記念日に行くとも取りざたされるが、私たちはもちろん反対である。

                             06.08.04   朝日社説に




                       戦争起きても「戦わない」

 日本が戦争に巻き込まれる危険性があると感じている方が急増している。内閣府の調査によると、94年は19.2%だったのに、今年2月は450%だった。朝鮮半島情勢関心があると答えた人が多かった。
 一方、自衛隊や防衛問題に関心がない人が
3割いる。理由は「よくわからない」が4割、「自分の生活に関係ない」が3割であった。60カ国で国民の価値観をきいた、世界価値観調査2000では、自国の軍隊(日本は自衛隊)を「非常に信頼する」と答えた日本人はわずか8.5%。上から43番目だった。「もし戦争が起きたら国のために戦うか」の設問に、「はい」と答えた率は最低。下から2番目のドイツの半
分以下だった。一方、「戦う」率が高かったのは、ベトナム、中国で
9割。米、ロ両大国は6割台だった。第2次世界大戦で負けた日独が際だって低く、概して侵略を退けた国や戦争をし続けている国が高いことが目立つ。 日本は敗戦で不戦を誓った。この結果を「情けない」という必要はないと思う。


                                        (坪谷英紀)

  06.08.06  朝日 「be on Sunday」から





            介護は一人で抱え込むと、苦しくなるけけど


 芸能界で華々しく活躍していたアイドル・荒木由美子さんが突如、結婚・引退したところまでは知っていても、その結婚生活が新婚2週間目から介護一色に彩られていようとは。そして、21年ものブランクを経てテレビに再登場したとき、以前よりもさらに美しく年を重ねている姿に2度びっくりされた方が少なくないのでは。
 その笑顔の奥には、認知症を病む、夫の母・吉のさんへの筆舌に尽くしがたい過酷な介護体験を経て到達した境地がありました。愚痴一つこぼさず、献身的に介護する由美子さんに対し、吉のさんは、何度も何度も「ありがとう」と言って旅立たれたそうです。


 そうした体験から、介護に取り組む人々に温かいメッセージを届け、各地の講演会にひっぱりだこの荒木由美子さんに、介護生活を支えた未や家族会との触れ合いも含め、介護体芸剣こついて話していただきました。

    全労災が発行した Safty Family誌より 06年夏号より






荒木 由美子さん




















     












  福祉番組のサブ司会が好評でした。障害や病気に前向きに取り組む方たち、各地で介護される方々と触れ合って感じたことは?

 一人で三人のお世話をしている方、子どもや配偶者の障害や発病に苦しんでいる方など、私よりずっと大変な思いをしている方々がたくさんいらっしゃることを知りました。講演会には大勢の方が足を運んでくださり、質疑応答の時間には堰を切ったように自分の思いを語られます。皆話を聴いてもらえる場がほしいのだということをひしひしと感じます。

 著書『覚悟の介護』には壮絶な体験が率直につづられています。介護されたとき感じたことは?

 結婚生活がそのまま介護生活でしたから、結婚って、夫の人生や人間関係を丸ごと引き受けることだと23歳にして覚悟を決めました。翌年には息子が生まれたので、妊娠・出産・育児と介護が同時進行で、人間が生まれ育ち、老いて病み、死に向かう命の一瞬一瞬が自分の手中にある。まるで生老病死が描かれた絵巻物でも見ているようでした。

 
大変なストレスで、心身ともに限界に達したため、施設に預けることを決意されました。そのときのお気持ちは?

 先が見えない介護が絶え間なく続き、電話の音が怖くなったり、手が震えたり、髪の毛がごっそり抜けて、自律神経失調症と診断されました。その症状は何年も続き、家の中が地獄さながら殺伐としていました。
 認知症による妄想がひどく、夫が切羽詰って自分の母親の首に手を掛けるような深刻な状況になって、在宅では無理だと判断し、施設にお願いすることに決めたのです。介護の担い手である私は最後まで、住み慣れたわが家で看取ってあげたかったのですが、結果的にはプロの手に委ねたことは正解だったと思います。

   施設にお願いするのを決断したとき、最も悩んだことはどんなことでしたか?

 夫は、最初から介護を私に任せていました。自分が出ると、実の親子だから義母は息子べったりになってしまう。それは家族にとってよくないという配慮だったと思います。
 彼は昔も今も堂々としていて、介護に追われた私の顔色をうかがうようなことはしない。でも、「ありがとう」と当時も今も折に触れて言ってくれるんです。悩みを私一人で抱え込んでいたときも、きちんとキャッチしてくれていたし。こんなにも自分のことを見ていてくれていると思ったら安心して、愚痴も相談も言う必要がなくなりました。そして、どんなときも私たちはユーモアを忘れませんでした。だからこそ、頑張たのだと思います

 今後、認知症や寝たきりの人の増加が予測されます。今介護している方、介護されている方にメッセージをいただきたいのですが?

 今は介護保険制度ができて、介護は公なものになりました。多彩なサービスから自分たちに合うものを選択できるようにもなりました。介護は経済的・精神的にダブルパンチです。ときには施設にお願いするほうが経済的に助かる場合もあります。公的、民間、ボランティアなどを上手に利用して、負担が少なくて済むサービスを取り入れることがとても大事ですね。
 そして、一人で抱え込まないこと、きには信号を出すことです。介護する人は本当に孤独なんです。私も、通りを歩いている見知らぬ人に話を聞いてもらいたいと思うほどでした。病院やカウンセリングでなくても、気軽に話せる人がすぐ近くにいたら。苦しいときすぐに駆け込めるような場所がどんな地域にもある、そんな温かい社会になってほしいと願わずにはいられません。

           ◆ 

 今年「やっと新婚旅行に行ける」と笑う荒木由美子さん。その笑顔は一つの大役を果たした充実感に輝いていました。自らに与えられた役割を放り出さず、地道に取り組む大切さを教えられました。  yuuji


                                 
 「
   朝日 朝刊 06.07.19
  牧師 込堂 一博
(北海道旭川市 58歳)
                                       3・1運動の史実直視して

   スラエルを訪れた小泉首相は12日、ナチス・ドイツによるユダヤ人大量虐殺の遺品を展示する記念館で、「二度とこういうことをしては いけないと痛感した」と述べたという

  私は6月下旬、韓国を訪れ、ソウルの南50㎞に位置する「堤岩里」にある「3・1運動殉国記念館」を見学した。独立運動が拡大していた
1919年4月、日本軍が20人以上の村民を教会に閉じこめ虐殺し、村の家屋にも放火したものだ。

 国によって記念館が建てられ、多くの韓国人が見学におとずれている。加害者側の国民として何とも遣り切れない思いがした。ただ、救いだったのは、日本語パンフレットに
「赦しこそすれ、忘れる勿かれ」という言葉と「日本人たちの募金により現場に教会が建てら
れた」と明記されていた。

教会の韓国人牧師が「日本各地で事件の講演をして歩いたが、日本人の多くは事件を知らなかった」と嘆いていた。殆どの韓国人の人々は知
っている。史実を直視する勇気を持たなければ、将来再び悲惨な事態を起こし兼ねない。
                   戦争の悲惨さを心に刻みたい



      「満州国」の概要などについて   
     旧日本軍が犯した卑劣な行為、これは、言わずもがな指導者の命令によって行われたものだが、この事件について
     私は、最近まで知ることが出来なかった。
      「満州国」は、31年の満州事変によって日本が中国北東部に樹立させた、傀儡政権。32年に建国宣言し、清朝最
     後の皇帝である「愛新覚羅博溥儀」が執政に就任した。首都は「新京(現在の長春)」。事実上は日本人が全ての
     実権を掌握していた。

                                   (yuuji)




「窓」 論説委員室から 06.07.18() 朝日 夕刊に
                         戦争体験は退屈か

 「言葉が心に届かない」
 沖縄県内で
3年前、ひめゆり学徒隊の生存者の講演を聴いた女子高校生がそんな感想を述べた。 その場にいたノンフィクション作家の下嶋哲朗さん(65)はこの言葉に衝撃を受けると同時に、触発もされた。戦争を語り継ぐための新しい方法論を模索して一昨年、下嶋さんは「虹の会」を立ち上げた。県内の高校生や大学生の17人が参加した。
 下嶋さんが書いた「平和は『退屈』ですか~元ひめゆり学徒と若者たちの
500日」(岩波書店)には戦争体験を継ぐための試行錯誤が克明に描かれている。
 「虹の会」では、戦争体験者が語り、若者が聴くという一方的な講演方式はやめた。若者らは毎月戦争体験者を囲んで座り、事前に練り上げた質問を投げかけた。
 対話を重ねるうち、聴く方に尋ねる力がつきだした。その力が、深い苦悩を抱えて生きる戦争体験者の内面をあらわにする。
 語る人と聴く人との共同作業を通じて、深い信頼関係も生まれた。お互いの言葉が相互の心に届いたとき、戦争を体験しない若者たちは、戦争をこころで「体験」したといえるのかもしれない。
 当初はよく泣いた若者たちが、泣かなくなった。代わりに、深く考えるようになるなど飛躍的な成長ぶりをみせた。
 戦争体験の風化が言われて久しい。ともすれば、語る人の側が責任の矢面に立たされがちだ。だが、聴く側の姿勢や工夫にこそ真の原因があることを「虹の会」の試みは見事に示している。
                                                                                                           (
大矢雅弘


     
このようなことは、沖縄の学生さんだけの話ではなく、現在の政治家の方々にも当てはまること
     が多くみられる。
     戦争を知らない故の悲しさと考えていたが、思考を変えての対応が必要であることを痛感した。
 
                         yuuji


06.07.02(日)朝日  Life & science に掲載

                   低きに流れない水 

   
牛を飼い、米を作るのは水がいる。沖大幹東京大助教授らの計算によると、牛井並盛り1杯で19トン、風呂おけ10杯半の水が必要だという。人が年間にとる水はざっと1トン。食料生産に必要な水はその千倍。日本はその4割を輸入に頼っている。

 もちろん工業製品を作るにも水がいる。農産物や工業製品を輸入するのは、それを作るのに必要な水を原産国から輸入することに等しい。これを「仮想水」という。沖さんらの試算では、日本の00年の仮想水の総輸入量は640億立方㍍。砂漠を抱える中国、イラク、モロッコなども抑えて世界一だった。

 内訳をみると、牛肉とその飼料で約半分を占める。牛は、肉1㌔あたり20トンの水が必要で、鶏肉の4.5倍。水の輸入元1位は米国、次いでオーストラリアだった。

 一方、砂漠化や飢餓に苦しむアフリカでは、仮想水を買いたくても買えない国が多い。
水は高きから低きに流れるが、仮想水は金のある方に流れる。

                                                            (坪谷英紀)


何故か、我が国小泉政治(経済)の仕組みも

低きに流れない金
に思われてならないが如何ですか。 yuuji

「天声人語」06.06.29  朝日朝刊

 「もし完全になりたいのなら」とイエスが言う。「行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい」更に、弟子たちに述べた。「はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。重ねて言うが金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」
(聖書・新共同訳)


▼世界第2位ともいわれる米国の富豪で、著名な投資家のウォーレン・パフェット氏が、4兆円余りの資産を寄付するという。その大半は、マイクロソフトのビル・ゲイツ会長夫妻の財団に贈られる。「税金 を払って財務省に任せるより、夫妻の財団はお金の効用を最大化してくれる」

▼これまでも、ブッシュ政権の掲げる遺産税廃止など、相続負担を減らす動きを批判してきた。経済格差 を助長し、資産家の子どもを甘やかすからだという▼米国での株の暴落による大恐慌のさなかの30年に生まれた。小さいころから数字に強い興味を示す。天気のよい日には、家の前を行き交う車のナンバープレートを記録して一日をすごした(R・ローウエンスタイン『ビジネスは人なり投資は価値なり』総合法令出版)。

▼お金への興味も強かった。
5歳のとき、家の前にガムを売るスタンドを設けて通行人に売った。9歳のころには、ガソリンスタンドの飲料の販売機にたまるビンのふたを数えて遊びながら、人気の銘柄を調べた


    先日起訴された村上ファンドの前代表も、9歳で投資を始めたという。しかし、プロとしての姿勢には大きな違いがでたよう。




株で儲けたらなぜいけない 
                                        高校生 仲田 まりえ
  06.06.29(木)の投書                   (栃木県鹿沼市  17歳

「頑張る人たち 報われる世に」(25日)を読んでいろいろ考えました。

 確かに汗水流して遅くまで仕事をする人たちが報われないような社会は私も嫌です。しかし、最近話題のライブドアの堀江・前社長や村上ファンドの村上・前代表のような人たちも、学生時代から一生懸命勉強してきたはずです。

「頑張っている人が馬鹿を見ない学校に」と、校長先生が話したそうですが、勉強に励んできた人が馬鹿を見ずにお金を儲けられる世の中になったということではないでしょうか。

 私自身、株に興味があり、自分なりに勉強したので分かるのですが、株は地道な調査と優れた判断力がなければ絶対に成功できません。ゲーム感覚でやっているように見えても、必ずしもそうではありません。

頑張って学んだ結果、株で利益を得て生活するのがそんなに悪いことなのでしょうか。株で儲けるのも、なかなかできない立派なことです。

 人にはそれぞれ向き不向きがあります。自分の得意なものを発揮できる世の中こそ、一番いいと私は思います。


06.06.29(木)の投書               

沖縄戦の事実を風化させるな
    

                             無職 宮島 幸宏
                          (横浜市港南区 67歳)

   社説「沖縄慰霊の日」(23日)に、沖縄戦の悲劇を絶えず思い起こすことが「日本の進む道を考えるうえで、苦い教訓となるに違いない」と結ばれていた。

 だが、私が小学校1年の時に故郷・沖縄で体験し弟と妹を失った戦争や、敗戦後約30年間続いた米軍政権下の生活を本土育ちの若い友人に語っても、なかなか体験の共有には至らない。かつて本土の修学旅行生が、ひめゆり語り部の体験談を退屈だと言った。さらに体験者も少なくなった現在、沖縄地上戦を教訓として学ぼうという気持ちも希薄になった。それは歴史的事実に向き合う日本人全体の風潮のようでもある。

 そんな中、今月に入って「沖縄戦の絵-地上戦-命の記録」(NHK出版)という、体験者が措いた画集が出た。どうしても伝たいという思いが伝わる絵と文の記録だ。私の作品も収録されている。

 その悲惨さには目を背けたくなるが、沖縄や広島、長崎の事実から目をそらしてはならない。そして、
日本が起こした海外での戦争の真実も知ったうえで、日本の針路を考ぇるべきだと思う。


06.06.13(火)の投書
                                    琉球の方々にお詫びしたい

 23日は、61年前に沖縄戦の組織的抵抗が終わったとされる「慰霊の日」です。私はいつも、大和人として琉球のすべての方々に謝罪したいと思っています。

 
61年前の今ごろ、沖縄では1517歳の少女までが死体だらけの洞窟の中で、日本兵の治療に尽くしていました。最後は日本兵からもらった手投げ弾で米軍に向かい、雨のような銃弾を浴びたのです。ひめゆり部隊の方々の死は、神風特攻隊員以上の悲しい死でした。

 戦争は人間の心を変えてしまいます。当時は「鬼畜米英」と言っていました。でも、日本兵も多くの琉球の方々に、ここでは書けないような仕打ちをしました。日本国内で唯一の地上戦が行われ、父母やきょうだい、また大切な人を亡くされた方々に深くお詫びいたします。

 大田昌秀前知事は「本土の人は沖縄のことをどう思っているのか」と涙ながらに語りました。約
400年前の薩摩藩支配や明治政府の琉球処分など、大和人が琉球の人々に与えた苦しみはあまり報道されません。

 日本に米軍基地は不要です。基地がなくなれば美しい沖縄で観光立県が実現し、より活性化するに違いありません。

                                                        ライター    川嶋 修司
                                                       (岐阜市 
63歳)

                         06.06.13  朝日 「声」欄に



  私達の意見・発言

 狂気と悲劇を引き起こした責任のあった人々は、今何処に祀られて?、このことを思い起こすとき、沖縄の方々に対しては、投稿者が述べていることは当然です、しかし、狂気と悲劇をまき散らした人々をどの様に評価すべきでしょうか。
 私たちは、私も、戦時中の「皇民化教育」によって「国の為に死を惜しまない」ことを教え込まれ、ただひたすらに走った、これは真実のことです。          yuuji
                                      

 朝日の社説では「沖縄戦の悲劇と狂気を絶えず思い起こす。それは、日本の進む道を考えるうえで、苦い教訓となるに違いない」と・・・・。(06.06.23 の朝刊に)




              三池 終わらない 炭坑の物語
     
               監督 熊谷 博子

 三池炭鉱の廃坑跡に足を踏み入れたその瞬問です。地底から働いていた人の声が、本当に問こえたような気がしました。
 地元の人から突きつけられた
「負の遺産」
という言葉。戦前の囚人労働強制連行、戦後の労働争議、炭鉱事故…。

そこで必死に生きた人がいる。

 その時から炭鉱(やま)の本当の声を聞こうとする、私の長い旅が始まりました。映画を完成させるまでに
7年かかりました。

炭鉱の残した人とものは、あまりに力強く魅力的でした。なのにその足あとを消したい人がいる。
 怒りが沸き起こりました。私一人でできたわけではありません。まちの歴史と向き合おうとした行
政、自分たちの思いを伝えようとした市民と撮影スタッフの、不思議な協同作業から生まれました。100
人近い方たちの証言と30を越す炭鉱関連施設の撮影。地下深い危険な場所で石炭を掘り続け、日本を支えた無数の人々がいます。私は炭鉱の女たちのエネルギッシュな生き様に、何度も涙を流しました。

 これは過去を三池炭鉱の歴史は、日本が歩んだ戦争と平和の道、そのものでもあります。石油へのエネルギー政策の大転換の中、炭鉱は閉じられました。

 描いた作品ではありません。アジアフォーカス・福岡映画祭で初公開され、会場で涙する多くの方に会いました。未来へ向けて勇気ある一歩を踏み出す、大きな力がみなぎります。

  ●時代の大きな変わり目の中で懸命に生きた人々の姿は、   今に通じるものがある。
   アジアのどの地域の人が見ても共感できる作品だ。
                     (佐藤忠男)


       語りつぐ……人たちの言葉

■掘り始めて一番こわいのは、天井に空洞ができて100メー タくらいの真四角になった時、いっぺんに落つることがあ るわけです。もう人間が人間でなかごして吹っ飛んでいくん ですね。
    /炭鉱マンだった 竹川一正さん

■みんなは第二組合に行った人たちを敵視して、交流もせんじ ゃったですよ。落盤におうた時には、第一もない第二もない 。互いにしっかりしろと引き起こしてきたのが、われわれの 坑内生活じゃないかと。
    /三池争議を関った 西脇仲川さん

■今だに季節で忘れられんのは、日月9日の爆発事故の夜の寒 かったことと、CO特別立法ができる時の東京の暑さですね ぇ。「廃案になった時は、単独で首相官邸に飛び込め!」っ て私は命令されてたんですよ。
    /炭鉱事故で夫がCO(二酸化炭素)中毒になった
     松尾憲虹さん


■与論島の人たちが直轄になったのが昭和17年。それまでみ んな下請けのゴンゾウ(船積み夫)で、船や貨車に石炭を積 み込む時は、みんなで歌ば歌いながらやったとばってん。
    /父が与論島から移住してきた 池畑重曹さん

■具合悪うして2日休んだだけで、憲兵に捕まって真っ黒い血 が出るくらい打たれて打たれて…。今日、話してスッキリし ました。
    /現韓国から強制連行された 沈載害さん





 
06.06.13(火)の投書
           病床の父親に蘇る三池炭鉱

 ドキュメンタリー映画「三池-終わらない炭鉱の物語」を先月下旬、母と見た。9年前に閉山した福岡県大牟田市の三池炭鉱の歴史と人間模様を熊谷博子監督がまとめた作品だ。

 
74歳の父は大牟田の出身で、中学を卒業すると祖父たちと炭鉱夫として働いた。社宅住まいを私もおぼろげながら覚えている。

 スクリーンには懐かしい光景が現れた。鉢巻き姿の集会やデモは、
1959から1年間続いた三池闘争だ。若かりし父や母がそこ病床の父親に蘇る三池炭鉱にいるかのようだった。

 その足で、父が入院している病院に向かった。映画の話をすると、父はベッドから身を乗り出した。「あ~見たかった。ホッパー(貯炭槽)は、どげんなっとった闘争の時はあそこで闘ったんだ」。脳梗塞の後遺症で口はもつれるが、思い出が次々と蘇った。

 炭鉱は父と母にとって人生そのものだった。ありったけのエネルギーを闘争にぶつけたのだ。映画館に足を運ぶのは難しいから、ビデオが出たら父にぜひ見せたい。


 「元気になったら、炭鉱の跡を見に行こうね」。そう語りかけると、病床の父はうなずいた。

                                会社員 豊田 登志子

                            (埼玉県草加市 50歳)

 06.06.13  朝日 「声」欄

  私達の意見・発言



 豊田さんのお父さんは私の年齢と余り違わない、父の心の内を察した子の優しい表現、そして、私などとは別の歩みをされた方のご苦労が、ひしひしと伝わった。                   yuuji
 
 この直ぐ上欄に「三池 終わらない 炭坑の物語」 の映画概要を掲載してあります





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 06.06.30 朝日
              朝食抜き傾向1~3歳は1割も


 13歳の乳幼児の約1割が朝食を食べないことがあり、寝る時間が遅かったり母親が欠食ぎみだったりするほどその傾向が強いことが29日、厚生労働省の05年度乳幼児栄養調査で分かった。

「ほとんど食べない」も2%おり、同省は「生活リズムが定着する時期で非常に問題。親の生活習慣見直しを呼びかけたい」としている。


母も欠食がちだと「食べる」の5倍に

 政府は今年3月に決めた食育推進基本計画で、朝食をとらない子どもは、「小学5年生で4%」(00年度)としているが、乳幼児の実態が分かったのは初めてだ。

 調査は85年から10年ごとに実施し、05年度が3回目。全国2305世帯の母親を通じ、2722人の乳幼児を分析した。朝食を「ほぼ毎日食べる」と答えたのは906%で、「週に45日」が54%、「23日」と「ほとんど食べない」がそれぞれ20%と、欠食がある乳幼児が1割近かった。

 母親の朝食習慣との関係も調べた。母親が「毎日食べる」場合は欠食のある乳幼児は6%だが、「ほとんど食べない」では298%にのぼった。

 就寝時刻との関連では、午後8持前に寝る乳幼児で欠食があるのは、29%だが、10時台は138%、12時以降は500%だった。朝起きられないことが、食欲不振や朝食の時間のなさにつながっているとみられる。



朝食と学力の深い関係

               06.06.18  朝日あっと @ デ~タ」

 
文部科学省が03年度の教育課程実施状況調査で、小学5年から中学3年生計45万人の学力テストと朝食の関係を調べたところ、毎日朝食をとる子は、国語、算数(数学)、理科、社会、英語、すべての科目で平均点を上回っていた。しかも、「必ずとる」「大抵とる」「とらないことが多い」「全く、たまにはは、ほとんどとらない」という、朝食をとる頻度順に点数が高かった。

 なぜ、学力と朝食にはこんなに深い関係があるのだろうか

 苅谷剛彦・東京大教授は「もちろん、朝食を食べれば成績があがるという単純な話ではない」という。「きちんと朝食をとるような規則正しい生活習慣を身につけられる家庭環境かどうかが大事なんです」大阪大と苅谷教授らが89年と01年に行った調査でも、わずか12年で朝食抜きや自分で起きられない子が増え、そんな子ほど家で勉強せず、成績も落ちていた。

 「格差社会の広がりで家庭環境の違いも大きくなり、学力格差が拡大している」と苅谷教授は心配している。
                (坪谷英紀)

 こんなことを見ていたところ、翌日06.06.19 の朝日で

「どうする子供の朝ご飯」と題して


                                女子栄養大副学長  香川 靖雄さん、
                                        福山平成大客員教授 鈴木 雅子さん 

 香川 靖雄さんは、「学校給食こそ最後の砦」と
 鈴木 雅子さんは、「家庭での食生活が大切」だと話している。


 これは、「食育推進基本計画」なるものの中で、朝食を採らない子供を4%から0%にするとの目標をかかげる中、朝ご飯を提供する学校が
出始めている。とのことであります。
 
「家庭や親が本来の
役割を果たせないでいる」。
どうして、日本が米国追従になってしまったのか、米国は1975年から実施している、とのことです。

「忙しくて準備出来ない」「作っても食べない」ことを理屈に、手抜きをする、これが本音ではないでしょうか、

また、こんな質問があったとのこと

「私と夫は、結婚前も結婚してからも、一度も朝食をとったことがない、体調には何の問題もないなぜ子供に朝食を食べさせなければならな
いのか」?と



 私達の意見・発言

 さあ、皆さんそれぞれの答えは、いろいろなことになるでしょう。

    私(yuuji)には「想定外のこと」でした!)

                06.06.20  私は詳しく朝日の内容を読んで考えてみました。           yuuji
 





「武士道」で経済を救う
                            06.06.17 朝日「News Inside」から

        拝金主義の世相を憂える人々がすがる


新渡戸稲造(1862年南部藩の下級武士の子として生まれた)は、札幌農学校で農学を学び、キリスト教に入信した、

1899年に米国で出版された「武士道」、その10年前、「日本に宗教教育がない」と話したベルギーの法学者に、さらに、「それでは、どうやって善悪の区別を教えるのだ」と驚かされたのが執筆の動機だった。

今は、「新渡戸稲造」肖像の500円札が見あたらなくなってきました。


   
金儲けだけがすべて。違法、脱法もいとわない拝金主義がまかり通る世相を憂える人々が、武
士道にすがろうとしている。藤原正彦さんのミリオンセラー「国家の品格」でも復活を提唱され
た武士道精神に、大義や人間性を惜しげもなく手放してしまったために、いまになって血の気を
失っている日本経済の再生まで託せるのだろうか。

                                                              (保科龍朗)

 墓石と墓所を販売して70年余。盆と彼岸は1日数万人が墓参する垂只都立八柱霊園の近くにある
石材会社(千葉県松戸市)は、電話帳を頼りにひたすら電話をかける数十人のパート主婦が営業の
前衛だ。無作為に電話して感触を探り、手応えをつかんだら営業マンを訪問させる。
この石材会社
である日、会議室にパートの主婦たちが召集された研修に同席してみた。
40代から50代の主婦た
ちは午前中の
3時間、夢うつつにもならずに講師のこんな言葉に耳を傾けている。
「武士道にならった愛社精神とは自己犠牲を強いるものではありません。すべてが自発的なのです
。いま自分には何ができるのか、何がしたいのかを常に考えましょう」
 営業にたずさわる従業員
のマインドに武士道精神を注入する社員研修を始めたのは、今年
1月からだという。
 月に1度、年12回にわたるプログラムには、新渡戸稲造の名著「武士道」や佐賀藩士、山本常朝
の口伝「葉隠れにあるような武士道の神髄を平易にかみくだいたフレーズがちりばめられている。
                          (中間の文省略)

  良心に動かされ

 200年も戦火が途絶える江戸時代の天下泰平の世に、武士は軍役を担う戦士としての存在意義
を失った。領地からの年貢収入は保証されているから、酒びたりになって遊んで暮らす「遊民」へ
堕落してもよさそうなものだったが、日本の武士たちは、なぜかその特権を潔しとせず、有能な行
政官僚へ転化していった、と笠谷教授はいう。

 「忠義」の観念も、軍事組織から行政組織に変貌し、終身雇用・年功序列制という日本型組織の
原型ともなった「御家」大事の忠誠心へと変質する。諌言、押込などという、良心に動かされて主
君に執拗に異議申し立てする制度が慣行となったのも、組織の手厚い身分保障があったればこそだ
った。

 「バブル期に勤勉の価値を見失い、非情なリストラがまかり通って雇用が不安定になった『失わ
れた10年』に企業への忠誠心を喪失したいまこそ、恩義と剛直な自立心を併せ持った武士道モデル
の組織論が日本経済を雄々しく再生復活させる手がかりになる」と笠谷教授は力説している。


 私達の意見・発言






        



 (新聞などから END